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大臺神楽闇夜 1章 倭 3高天原の惨劇4

三佳貞の言った通り船尾から登って直ぐに扉が見えた。皆は言われた通り扉を開け階段を降りて長い廊下を進んでいく。正直な所三佳貞は扉より先の事は知らない。だが、帥升の部屋があると言った衛兵の言葉が正しいのならその先に部屋がある。侵入している船が違えど作りは同じであると三佳貞はそう考える。その考え通り廊下の先に更に扉があった。
 三佳貞達は扉を開け中に入る。船によっても違うが倉庫になっている船が殆どである。小窓から明かりが差し込み薄暗いが真っ暗な闇ではない。
 広い部屋に多くの棚があるが物資は空にちかい。砦に持って行ったのか、其れとも既に底をついているのか…。あるのは麻袋に入った大量の何かと大きな瓶(かめ)が幾つか有るだけである。
 三佳貞は瓶の蓋を開け中を見やる。中には液体が入っているが水ではない。匂いで見るが今一分からないのでペロリと舐めてみた。
「うげ…。油じゃか。」
 と、ペッペッとした後シメシメと瓶を倒して油をまいてやろうと考えた。
 グイッと瓶を倒そうとするが残念な事にビクともしない。足でグイグイやってみるが少し動く程度で話にもならない。三佳貞はキョロキョロと辺りを見やり適当な棒を探した。
「ありよった。ありよった…。」
 と、三佳貞は両手でギュッと棒を握ると力一杯瓶を殴った。
 ガシャンと音を響かせ中から油が溢れ出す。三佳貞は流れて行く油をジッと見やる。ドロドロと大量の油が流れ広がって行く。三佳貞は腰にぶら下げている火種を油に近づけ火をつけた。
 ボワっと火が点くと瞬く間に油が流れた場所に火が燃え広がって行く。
「うお ! なんじゃぁ…。直ぐに火がつきよったぞ。」
 と、三佳貞は感心し乍ボウボウと燃える火を見やる。三佳貞達が使っている油は中々火がつかない。だから一度油を温めたり今の様に火種を暫く近づけて火を点ける必要があるのだ。
 ボウボウと燃える火は瞬く間に床を燃やし始める。三佳貞はしてやったりと全ての瓶を割ると大急ぎで外に出て行った。
 外に出やると皆が同じタイミングで出てきていた。三佳貞達は軽く頷き船首に向かって走り出す。そして船の先から前の船に乗り移り同じ事をする。此れで何隻の船が燃やせるのかは分からないが確実に何隻かの船は燃やす事が出来る。だが、やがて船から煙が上がり敵は其れに気づく。敵が気づいた時点で此の策は終了である。だから三佳貞達は休む事なく此れを繰り返した。
 そして三佳貞が五隻目の船に火をつけた時、船がグラグラと大きく揺れた。三佳貞は足を取られ尻餅をついた。
「な、なんじゃ…。」
 と、三佳貞は四つん這いになりながら出口に向かう。港の高見台から海を見やっていた倭兵も船がグラグラと揺れ出したので気になって船を見やっている。
 雨が降り海が荒れているならいざ知らず。周囲は晴天であり波は穏やかである。不審に思わせる煙も上がっていない。だから倭兵にとって此れは非常に不思議な現象だった。
「何をジーっと海を見ているんだ ? 天女でも見つけたか ?」
 隣で腰を下ろし暇を持て余している倭兵が問うた。
「船が揺れているんだ。」
「そりゃ波があるからな。船もゆれるさ。」
「そうじゃない…。ーーあっ…。」
 と、驚きの声をあげる。
「おっ。天女を見つけたか。」
「いや…。此れは…。海が…。」
「海がどうした ?」
「海が…。海が船を食らっている。」
「海が ? 海が船を食うわけないだろう。まったく…。相変わらずお前の冗談は詰まらんのぅ。」
「冗談じゃない。見てみろ。」
 と、腰を下ろしている倭兵を無理矢理立たせ沖を指差した。その方向を見遣りゴクリと生唾を飲む。
 其の場所は遠い沖である。確かにハッキリと其れを見やる事は出来ないがグラグラと揺れ乍ら一隻、又一隻と船が沈んで行っているのが分かる。其れは正に海が船を喰らっている様に見えた。
「な、なんだ…。冗談だろ。」
「いや、冗談なんかじゃない。」
「真逆…。ありえない。海が船を食うなんて。」
「あぁぁそうだ。あり得ない。此れは八重の仕業だ。」
 と、倭兵は大筒を鳴らす。八重が攻めて来た事を告げる合図である。その合図に倭兵は港に大急ぎで集まって来た。其の中には将軍である黄もいた。黄はジッと海を見やる。が、船が大きくグラグラと揺れているだけである。もっとも八重軍が沖から攻めて来ているのなら港からでは大量の船が視界を遮り確認する事は無理である。仕方なく黄は高見台迄走って行き其れを登るとジッと沖を見やった。が、此れと言って敵船らしき物は見えない。
「敵は何処にいる ?」
 黄は番兵に問いかける。
「敵は見えません。ですが次々と船が沈められています。」
 と、番兵はその方向を指す。
「船が ?」
 と、黄がその方向を見やる。
「小舟で乗り込んで来たのか…。其れとも泳いで来たのか…。」
「で、態々船を沈めに来たのか。」
「そのようです。」
「何の為に ?」
「さぁぁ…。」
 と、首を傾げる番兵を他所に黄は高見台を降りると港に向かって走り出す。三佳貞達は何があったのかと足を取られ乍らも必死に周りを見やっている。
「なんじゃか…。嵐では無いぞ。」
 と、三佳貞は手すりにしがみつき浜の方を見やる。だが、此れと言って異常は無い。倭兵が乗り込んで来たのかとも思ったのだがその様子は無い。しかもグラグラと揺れているのは三佳貞の乗っている船だけでは無い。全部の船がグラグラと揺れている。

 そして…。

 又大きく船がグラグラと揺れる。と、同時に船が沈んで行く大きな音が耳に届く。
「なんじゃか ! この音は ?」
 三佳貞は慌てて沖を見やる。
「お、おぉぉぉ…。海が船を食うておるぞ。」
 沈んで行く船を見やり三佳貞がボソリと言った。
「三佳貞…。なんじゃか此れは ? どうなっておるじゃかよ。」
 隣の船から大きな声で春吼矢が問うた。
「わ、我の読み通りじゃ。」
 サラリと嘘をついた。
「じゃか…。ほんまじゃか ?」
「じゃよ…。」
「じゃが船は燃えておらんぞ。」
「も…。え、ええんじゃ。その代わり沈んでおる。問題無しじゃ。」
「じゃかぁ…。しかしこの揺れは不味いじゃか。ピョン出来んぞ。」
「暫くしよったら波は落ち着きよる。其れ迄待機じゃ。」
 と、三佳貞は待機の合図を出した。
「しかし、何で燃えよらんのじゃ ?」
 三佳貞はボソリ。沈み行く船を見やる。
 確かに沈み行く船からは煙らしき物は出ていない。だが、船倉はゴウゴウと燃えている。その火は天井を焼き床を焼く。床の下は船底である。燃え崩れた床が船底に落ち、一階の船室を火達磨にするよりも早く船底を焼いたのだ。其処から海水が入り船が沈んで行っているのである。が、そんな事三佳貞に分かるはずも無く。ただ三佳貞は首を傾げ、何にしても上手く行ったと思っているのだが、思わぬ連鎖が連なって起こる。波が治まったと思いきや次の船が沈み始めたのである。
 又大きく船が揺れる…。
「いけん…。此れでは先に進めよらんじゃか。」
 手摺をギュッと強く掴み目前の船を見やる。
 グラグラ、グラグラと船が揺れる。
「三佳貞…。どうするんじゃ ! 次は此の船が沈みよるぞ !」
 反対方向から日美嘉が叫ぶ。
「じゃよ…。泳いで行きよるか !」
 春吼矢が言う。
「其れじゃ ! 我は泳ぎよる !」
 日美嘉が言う。

 泳ぐじゃか…。

 と、三佳貞は海を見やりそのまま前方の船に視線を持って行く。
 フト見えてはいけない何かが見えた。三佳貞は視線を前方の海に戻す。微かに何かが見える。それが何かは分からない。分からないが三佳貞の感が危険だと告げる。

 そして…。
 耳をつんざく様な鳴き声が脳裏に響く。
 其れは鴉の様な鳴き声でガァァァァ、ガァァァァと叫ぶ。瞬間意識が飛んだ。
「三佳貞聞いておるじゃか ?」
 春吼矢の声で我に戻る。視線を春吼矢に向けると其処に黒い何かがいた。

 か、鴉…。

「鴉 ? 鴉がどうしたんじゃ。」
「な、なんじゃ…。お前はなんなんじゃ ?」
 春吼矢の問いには答えず三佳貞は黒い何かに問う。だが、黒い何かは答えない。ただガァァァァ、ガァァァァと鳴き散らし、やがて港に向かって飛んで行った。
 三佳貞は訳わからずただ其れを目で追った。
 黒い何かはやがてスゥーと消え、代わりに三佳貞の目には小舟に乗った倭兵の姿がハッキリと映った。
「て、撤退じゃ ! 撤退じゃ !」
 慌てて三佳貞が叫ぶ。
「撤退 ? 何でじゃ ?」
「敵が来よった !」
「倭人じゃか…。」
「じゃよ。撤退 ! 皆撤退じゃ !」
 と、三佳貞は銅鐸を鳴らす。その音を合図に娘達は海に飛び込んで行った。其れを目撃した倭兵が”逃げたぞ ! 追え !”と叫ぶが最後の船が沈み始め小舟の舵を奪う。三佳貞達はその隙にそそくさと泳いで逃げて行った。
 そして、蘭泓穎達は集落を目前に陣形を作り、泓穎は最前列の先頭に立ち美佐江を睨め付けていた。
 何処ぞに隠れての奇襲だと考えていた泓穎達は集落の前で陣形を作り待ち構えていた八重軍に少し拍子抜けである。
「フン…。腰抜共が…。隠れんで良いのか ?」
 泓穎が言った。
「隠れる必要が何処にあろうか…。既に侵略者は目前におる。此の地我等が物。其方らに渡すは叶わぬと知れ。」
 美佐江が答える。
「侵略者…のぅ…。思い違いも甚だしい。だが、改める刻は与えぬ。死んでから悔いよ。」
 そう言って泓穎はスッと右腕を天に…。前衛の秦兵が構え、騎馬兵が槍を構える。美佐江もスッと右腕を天に掲げ敵兵を睨め付ける。八重兵達は矛を、剣を構える。

 そして…。

 泓穎が、美佐江が腕を振り下ろした。
「進め !」 
 二人の号令と共に両軍が相手に向かって走り出す。全速力で向かって来る秦兵、迎え打つ八重兵…。お互いの距離はミルミル内に狭まって行く。
 泓穎はニヤニヤと笑みを浮かべ乍ら見やっている。美佐江はジッと互いの距離を目測し乍目を左右に動かしている。小さな銅鐸を持つ手に緊張が伝わる。
 そして、美佐江は怪しげな銅鐸の音を響かせた。その鐘が鳴り響くや八重兵はピタリと走るのをやめその場で腰をグッと落とし構えた。八重兵が壁となり秦兵を待ち構える。秦兵は其れを打ち破るべく一気に攻め込んで行く。
「何か仕掛けてくるか ?」 
 項雲がボソリ。
「さて、どう来ますか…。」
 司恭が答える。司恭は項雲が最も信頼する軍師である。司恭は項雲と同じく出身は楚である。
「どう来ても良い。猿のする事などしれておる。」
 泓穎が言う。
「お…。否、帥升。敵を侮るは愚将だ。常に最強の相手と考えよ。」
 泓穎の言葉に陽が言った。
「フン…。猿は猿であろう。」
 と、泓穎が言った横で、”あっ”と項雲と司恭が驚きの声を上げた。
「どうした ?」
「やられた ! 落とし穴か。」
「落とし穴ぁぁ。」
 と、泓穎は前方を見やる。と、多くの兵が穴に落ち、穴の前で兵が立ち止まっていた。
「ふ、ふふふ…。あ、あは、あははははは…。」
 其れを見やり泓穎は思わず笑ってしまった。
「な、何が可笑しいのです ?」
 項雲が問う。
「まんまとしてやられたのぅ…。真逆落とし穴があるとは、笑ってしまうではないか。」
 と、泓穎は馬をテクテクと歩かせる。自ら攻め入るつもりなのだ。
「帥升…。」
 陽が呼び止める。
「陽大将軍。此れは我等が戦だ。秦兵に任せるも良いが我等で打たねば面子がなくなってしまいよるぞ。」
「ーー。確かに。」
「其れに丁度良い機会だ。其方らも見ておくが良い。我等の力を…。」
 と、泓穎は後ろでに項雲を見やり言った。陽は倭兵に進軍の合図を出し進軍を開始しさせる。
 ザワザワ、ザワザワと前方の兵士達が騒ついている。その中に泓穎が割って入って行く。そして落とし穴の前で止まった。
 落とし穴は縦に人二人分程の長さがあり、横は兎に角長い…。穴と言うよりは巨大な溝である。秦兵が落ちた場所は既に穴があるがチロリと穴の端を見やればまだ穴が続きその上に板が被せてあるのが分かる。落とし穴の中には当然の事、竹槍が仕込まれてある。
「まるで水路だな。」
 穴を見やり泓穎が言った。
「ほぅ…。侵略者の王は随分余裕と見える。」
 泓穎を見やり美佐江が言った。
「三子の女か…。妾が帥升だと何故知っておる ?」
「既に三佳貞から聞いておる。生意気な娘が帥升に即位したと。」
「フン…。お前は特別苦しめてから殺してやるぞ。そうじゃ、三佳貞の前で殺してやる。」
「三佳貞…。残念だが三佳貞は此処にはおらぬ。」
「おらぬ…?」
「其方らの船を焼きに行った。」
 美佐江の言葉に泓穎の頬がピクリと動く。
「船を…。フン。何処迄も小賢しい。まぁ、良い。」
 と、泓穎は後から来た陽を見やる。
「我が騎馬兵はやっと到着か。」
「応。」
「良い。秦兵を下がらせよ。此処からは我等が相手だ。」
 と、泓穎が言ったので陽は秦兵を下がらせた。
 秦兵が下がり、代わりに騎馬隊が前に出てくる。
「美佐江殿…。倭人が乗っておるあの生き物は何だ ?」
 八重兵か問う。彼は馬を見たことが無い。間者として天煌国に行った事がある物は馬を知っているが其れ以外の者は此の大きな生き物を見るのは初めてとなる。何故なら此の国には馬がいないからである。
「あれは馬じゃ。」
「うま ?」
「牛よりも早く走りよる。良いか火を放ったらすぐに撤退じゃ。」
 と、美佐江は右手を頭の位置に迄上げる。と、後方から松明を持った兵士が数十人現れた。倭兵達は何をするのかと身構える。
「放て…。」
 美佐江が言うと兵士達は松明を落とし穴に投げ入れた。すると其処から火が上り始めた。落とし穴にはあらかじめ大量の油を竹槍、周囲の壁や土等に染み込ませていたのだ。その油は太陽の熱で既に熱くなっていた。だから、簡単に火が点いたのだ。
 八重兵は其処に更に熱くなった油を投げ入れ火の壁を作る。落とし穴の中からは悲鳴と呻き声が響く。絶命していなかった者達の焼き殺される声である。
「良い。撤退じゃ !」
 と、美佐江は撤退の合図を出すと全速力で集落に向かった。
「愚かな…。誰が逃すか。」
 泓穎はテコテコと少し後ろに下がると、力一杯馬を走らせた。馬は燃え盛る火をものともせず落とし穴を飛び越え八重兵を追いかける。その速さは皆が想像するよりも早く後退する八重兵に追いついて来る。
「美佐江殿…。駄目だ。追いつかれる。」
「分かっておる。皆よ止まるな ! 何としても逃げのびよ。」
 と、美佐江が兵を鼓舞するが、既に後方の兵が一人、二人と泓穎に切り殺される。逃げるのが無理だと悟った兵が泓穎を殺しに行くが泓穎は強く相手にもならない。力一杯剣を振り下ろしても其れを更なる力で弾かれそのまま首を刎ねられる。矛で突いても鎧さへ貫けず逆に兜ごと頭を割られてしまう。其れでも多くの兵が仲間を集落に戻す為に泓穎の動きを止めに行った。だが、敵は泓穎一人では無い。続々と落とし穴を飛び越えて来た騎馬兵が襲って来る。その攻撃は凄まじくあっと言う間に50名近い兵士が殺された。圧倒的な力の差である。其れでも必死に動きを止めようと向かって行く。切られても、突かれても、腕を切り落とされようと、命ある限り向かって行った。
「いけん…。このままでは全滅じゃ。」
 と、美佐江は皆を助けに行こうとするが其れを近くにいた八重兵が止める。
「美佐江殿 ! 今其方を失えば其れこそ全滅だ。策通りにやらねば…。」
「じゃよ…。」
 美佐江は歯を食いしばり集落に向かう。
「逃さぬぞ。女…。」
 泓穎は美佐江に向かって馬を走らせる。が、其れを八重兵が必死に食い止める。
 倭人は殺せなくとも馬は殺せる。倭人の動きは止めれなくとも馬の動きは止められる。ある者は馬に切り掛かり、ある者は馬の足にしがみついた。
 一人の力では弾き飛ばされる。だから数人で一本の足にしがみつく。すると馬はバランスを崩し転倒した。
 馬が転倒するとつられて騎手も地面に投げ出される。其処に数人の八重兵が襲い掛かる。ボロボロの体に力を込めて倭兵を殴る。切っても突いても倭兵は死なない。もとより鈍では切る事も突き殺す事も叶わない。だから力一杯なぐるのだ。殴り続ければ如何に倭人と言えどいつかは死に至る。死ななくとも気を失しなってしまうだろう。
「あー、鬱陶しい ! 離れろ此の猿が !」
 馬にしがみついて来る八重兵を相手に泓穎は苛立ちを募らせる。
「あーもぅ良いわ。」
 と、泓穎は馬の上に立つとピョンと高く飛んだ。着地と同時に一人殺すと続け様に周囲の兵士を殺しに掛かった。
「死ねぇ !」
 と、反撃に出るが泓穎は簡単に其れを避ける。続けて一撃、二撃と繰り出すが矢張り避けられる。
「話にもならぬ。」
「クソ…。舐めるな。」
 と、数人の兵が泓穎を囲んだ。囲んだが泓穎は余裕である。と、泓穎は一歩前に出たと同時に一人の首を刎ねる。動きが早くついていけなかった。兵士達が動いたのは泓穎が二人目の首を刎ねた時である。後方から剣を振り下ろす。泓穎は其れをクルリと交わし振り向き様にその兵の首を刎ねる。続けて右側面から剣を突いてくる。其れを左手で軽く押し軌道を変え兵の体勢が崩れた所に右足で膝カックンを決める。兵は地面に突っ伏し、泓穎は一旦後ろに引、構えをとると残りの八重兵達も構え直した。
 そしてチラリ…。
 美佐江達は集落に戻り始めている。戦場に残っている八重の兵士はごく僅かである。必死に馬の動きを止めに掛かり、数人で倭兵に襲い掛かっても所詮はその程度である。泓穎の様に馬を降り戦う倭人は馬に乗っている時よりも遥かに強い。特に大将軍である陽は桁違いの強さを誇る。
「大丈夫か…。」
 地面に突っ伏した兵を見やり言った。
「大丈夫だ…。しかし強いな。」
 立ち上がりながら兵が言う。
「あぁぁ…。卑国の鬼より強いかもだ。」
 別の兵が言った。
「何を話している。話す暇があるなら掛かって来ると良い。」
 泓穎は八重の言葉を知らない。だから自国の言葉で話されると全く理解が出来ない。
「此の国には鬼がいると言ったんだ。」
「八百万の神もいる…。如何にお前達が神であろうと我等が国の神には勝てぬ。」
「ぬかせ…。其方らが神は我等だ。其れを忘れし愚か者共が…。」
「何とでも言え…。だが断言してやる。お前達に日は昇らぬ。決してだ。死ね倭人 !」
 そして残りの兵が一斉に襲い掛かって来た。泓穎はその者達を殺すと馬に跨り集落に向かった。
 集落では既に策の発動に取り掛かっている。美佐江が銅鐸を鳴らし民に合図を告げる。生き残った兵は入り口を固め、民は竪穴式住居の中に設置した竹槍ミサイルの発射準備に大慌てである。
 竹槍ミサイルとはつまり大きな弓で竹槍を飛ばすのである。竹槍の軌道が変わらぬ様に長い竹筒を葦に刺して其処から竹槍が飛んで来る様に設計されている。感じ的には大きなボウガンやピストルと言った感じである。だが葦に刺してあるので竹槍は其処からしか飛んで来ない。だから場所を特定されれば瞬時に不用物となる。だが、不意打ちには効果的であるのも確かである。突然竪穴式住居から竹槍が飛んで来るのだ。其れも一つの竪穴式住居に五つの竹槍ミサイルが設置されている。此れは効果的面である。
「良いか。焦るで無いぞ。合図は鐘の音じゃ ! 打ち終わりよったら直ぐに後退じゃ !」
 美佐江が声を荒げ言った。皆は竹槍をセットすると一本の弦を五人掛で力一杯引いた。民達は倭人を殺す気満々である。そして泓穎達は集落の前で馬を降り、立ち塞がる八重兵に向かって攻撃を開始した。
「来よったか…。皆よ…。徐々にじゃ。ゆっくりと後退じゃぞ。」
 そう言うと美佐江は剣を抜いた。
 徐々に…。其れは此方があからさまに後退している事を悟られぬ様に…。悟られれば必ず策があると敵は其れ以上攻めてこぬか、攻撃方法を変えて来る。そうなれば竹槍ミサイルは失敗に終わるし無駄に民を死なせてしまう事になる。
「皆よ ! 押し戻せ !」
 美佐江が声を荒げ叫ぶ。兵士達は雄叫びを上げながら倭兵に向かって行く。
「皆殺しだ ! 進めぇ !」
 泓穎が叫ぶ。集落の入り口でニ回目の戦闘が始まった。竹槍ミサイルの射程迄策は無い。逆に罠だらけなら相手は警戒して攻めては来ない。だから、此処は踏ん張り所なのである。
 圧倒的を遥かに超える力の差を前に八重兵は次々に殺されて行く。其れでも必死にしがみつく。美佐江も必死に応戦するが、どうにもならぬ力の差がヒシヒシと伝わって来る。
 岐頭術の軸とも言える受け流しも倭人の動きがこうも早くてはタイミングを取るのにも一苦労である。
 受け流しからの相手の力を利用しての攻撃も上手く流せず。此方が攻撃を仕掛ける前に別の兵が美佐江を殺しに来る。此れでは避けるだけで手一杯である。何とか繰り出す膝カックンも関節技も力の差でどうにもならない。
「すばしっこい女だ…。」
 美佐江を睨め付け倭兵が言った。
「頑丈な奴らじゃ…。」
 と、美佐江は周りを見やる。
「まったく…。良く動く年増だ。」
「誰が年増だ。」
 美佐江が倭兵を睨め付ける。
「お前以外誰がいる。」 
「失礼な…。我はまだ十八だ。」
 と、美佐江は嘘をついた。
「そんな十八が何処にいる !」
 と、物凄い勢いで泓穎が攻撃を仕掛けて来た。美佐江は咄嗟に其れを避けるが続けての二撃目の切り上げで右横腹を切られた。

 うぐ…。
 血がジンワリと染み出して来る。

「三佳貞の前で殺してやろうかと思うたのだがやめた。」
「辛抱のない娘だ…。」
 と、美佐江はゆっくり後退する。
 チロリ、チロリと周りを見やる。それを見やり泓穎はクスリと笑う。
「まだ、策があるか…。」
「なんの話だ。」
「あるから、ここ迄後退したのであろう。だが、無意味だったな。」
「何を言うておる。」
「軍師無くして策成り立たず。終いだ。」
 と、泓穎は素早き動きで美佐江の顔面を突きに行く。美佐江は一歩踏み出し其れを受け流した。このタイミングはドンピシャだった。このまま泓穎の首を…。と、剣を振ろうとしたその刹那…。泓穎の左回し蹴りが美佐江の顔面に見事に決まった。
 美佐江はグルリと一回転し乍地面に突っ伏す。わけの分からぬ体勢からの攻撃だったので泓穎もそのまま地面に崩れ落ちた。
「帥升…。大丈夫か。」
 慌てて倭兵が駆け寄って来る。
「大丈夫だ…。」
 と、泓穎はのっそりと立ち上がる。
「美佐江殿…。」
 八重兵が美佐江の元に駆け寄って来る。
「我は良い…。其れよりも手はず通りじゃ。」
 脇腹から血がドクドクと流れ出る。
「何を言うておる。腹を切られておるでは無いか。此処は後退だ。」
 と、美佐江を抱えよっちら進む。泓穎は其れをジッと見やり八重兵を弓で打ち殺した。

 あっ…。

 と、美佐江は後ろでに振り返る。
「殺すと言うたはずだ。」
 と、泓穎は美佐江に向かって走り出した。美佐江は体を反転させ攻撃に備える。血は止まらず流れ続けている。意識は既に虚である。其れでも美佐江は周りを見やる。
 そして泓穎の強烈な斬撃が美佐江を襲った。美佐江は其れを何とか剣で受け止めるが、余りの力の強さに後方に弾き飛ばされた。
 更に泓穎の攻撃は止まらない。美佐江は必死に攻撃を避け無理矢理何とか受け流す。何とか隙をと思うがどうにもならない現実が此処にある。
 其れでも何とか一撃でもと剣を振るが逆に受け流され、泓穎はそのまま美佐江の右腕を切り落とした。
「うぐ…。」
 美佐江はグッと歯を食いしばる。
「良う頑張ったと言うてやるべきか…。フフ…。あは…。あははは…。無駄な足掻きだと言うにのぅ。」
 と、泓穎はケラケラと笑う。
「舐めるな。倭人…。例え我が其方を殺せずとも…。我思い消えず、願い途切れず…。次なる娘が必ず其方を殺す。」
「あ…。あははは…。その程度で妾を殺すか。」
「応…。此の国には鬼がいよる。」
「又其れか…。うんざりだ。死ね。」
 と、泓穎は美佐江の腹を突き刺した。口から血を吐きそのまま泓穎により掛かる。美佐江は力を振り絞り袖に忍ばせていた合口で泓穎の喉を…。掻き切るより早く倭兵が美佐江の首を刎ねた。
「帥升…。油断は禁物です。」
「油断だと…。」
 と、泓穎が言うと倭兵は美佐江の長い袖を捲り合口を握る手を見せた。
「その様だな…。何ともしつこい奴らだ。」
 と、泓穎は周りを見やる。力に圧倒され後退して行く八重兵の姿が目に映る。
「もぅ終わりか…。詰まらぬ戦だ。」
「仕方ありませぬ。我等が強すぎるのです。」
「そうだな…。ーー皆よ追い込め ! 皆殺しだ !」
 泓穎の言葉に倭兵は八重兵を追い詰めて行く。既に倭兵は竹槍ミサイルの射程圏内である。だが、未だ合図は無い。美佐江が殺されたのだから合図が出ないのだ。
「よう、迫。合図はまだべか ?」
「だよ。未だぎごえねだよ。」
「倭人さ目の前におるだがよ。」
 ヒョコッと戸を開け外の様子を見やる。
「み、美佐江はおるだがよ ?」
「いね…。」
 と、話していると八重兵が何か叫んでいるのが聞こえた。
「打て ! 打て ! 放て !」
「迫…。合図だがや。」
「違うど…。合図はがねだがや。」
「美佐江殿は討死なされた ! 民よ打て ! 」
 更に兵士は叫ぶ。
「迫 !」
「応だ。 皆よ。ごうげきだ。」
 と、竪穴式住居から竹槍が一斉に飛び出す。迫達は第二射、三射と休む事なく竹槍を飛ばす。
「うが !」
 と、流石に此れは倭人にも通用した。硬い竹は鎧を貫き倭人の体をも突き刺したのだ。
「くぅ…。あのクソ女がぁ。」
 と、泓穎達は慌てて身を隠す。竹槍がビュンビュンと飛んで来る。陽が兵に隠れる様に指示を出し、やがて倭兵の姿が見えなくなると竹槍の攻撃が止んだ。
「五助…。倭人はどこさじゃ ?」
「わがらん…。隠れよったべさ。」
「出でぎだら合図さよこせ。」 
 と、迫達はグッと弦を引く。そしてその間に八重兵は次の策の準備に取り掛かる。
 美佐江がいなくともその指示は既に伝えられている。美佐江は自分が討死にした時の事も踏まえ全ての策の段取りを伝えていたのだ。
 美佐江のいない今…。、皆は不安である。だからと言って諦める訳にはいかない。其れにもう少し踏ん張れば娘達も戻ってくる。民達にとって三子の娘達は勇気であった。
 勝てる…。
 勝てるはずもない敵に勝てる。そんな気にさせてくれるのだ。
「五助…。倭人はまだか。」
「まだだ…。」
「腕が疲れてきただぁよ。」
 と、弦を引く手がプルプルと震え出す。五人掛で引く弦は強く長く引くにはかなりの体力を消耗する。
「倭人はいねぇだよ。少しさやずめ…。」
「わがった…。」
 と、皆は一斉に手を離したので五本の竹槍が竪穴式住居から飛び出した。その一本が泓穎の真横を通り抜ける。
「うお !」
 思わず泓穎は叫んでしまった。泓穎はチロリと竹槍が飛んで来た方向を見やる。隠れている場所が分かったのかと思ったからだ。だが、続けて竹槍は飛んで来ない。
「まったく…。厄介な物を…。」
 と、泓穎は竪穴式住居をジッと見やる。と、住居の入り口付近に人がいるのが見えた。住居から飛んで来る竹槍。其れがどの場所から飛んで来るのかは分からない。外の様子を見やる小窓らしきものも無い。だが…。自分達が隠れた途端その攻撃は止んだ。

 つまり…。

「あいつか…。」
 と、泓穎は弓を構えその者を射殺ろした。
「あっ ! 五助…。」
「五助が殺されたぁ。」
「倭人にバレたがや…。皆にげんど。」
 と、迫が此の策の為に作った別の玄関から民を外に出す。
「住居の入り口にいる者を射殺せ !」
 泓穎が指示を出す。そして泓穎は竪穴式住居に向かって走り出す。倭兵は指示通り入り口にいる者を射殺すと泓穎に続いて走り出した。
 竪穴式住居に入ると既に人はいなかった。が、目前の出入り口から走り去る民の姿が見えた。泓穎はBダッシュでその者達を追いかける。だが、民達も必死である。だから中々追いつけない。そうこうしている内に集落の西門が見えてきた。
「あの門から逃げる気か…。」
 と、泓穎は弓を構え瞬時に一人を射殺すと、続けて二人、三人と射殺した。
「駄目だ…。にげきれね。」
「大丈夫だ…。おめさはにげろ。」
 と、迫は立ち止まり。泓穎を睨め付けた。弓を構える泓穎は迫の行動に首を傾げた。
「う、うぉぉぉぉぉぉ !」
 そして、雄叫びを上げながら泓穎に向かって走り出した。
「な、何をするつもりだ ?」
 迫の行動に少し興味を持った泓穎は直ぐに射殺す事はせず敢えて当たらぬ様に弓を打った。迫は右に左に体を揺らしさも矢を避けている気で泓穎に向かって行く。その行動がおかしく面白かったので泓穎は続けて何本もの矢を打った。迫は更に激しく体を左右に振り、挙句はジグザグに走り出す。
「なんとも…。奇妙な男だ。」
 と、泓穎は弓を肩に掛けると左腕を前に構えを取った。迫は竹槍をグッと握り泓穎めがけて襲い掛かる。が、其れが当たる事なく泓穎の腰の入った右パンチを顔面に受けた。迫の全速力で向かって来る力と泓穎の力が合わさり迫の顔面の骨が砕け、首の骨がいとも簡単に折れ迫は絶命した。ピクリとも動かない迫を見やり泓穎はクスリと笑う。
「帥升…。遊んでいる場合ではないぞ。」
 不意に陽が話しかけて来た。
「面白い男だったのでな…。」
「そんな事より又火だ。」
 と、陽は西門を指す。泓穎が西門を見やると門が激しく燃えている。人が通る場所にも火が燃え盛り、其れは集落を囲む城壁もゴウゴウと燃やしていた。
「其れで、八重兵は何処に ?」
「あの山に逃げていった。」
 と、陽が山を指す。
「山のぅ…。どうせ罠だらけなのだろぅ。」
「だろうな…。」
「もう良い。全て燃やせ。」
「本気か…。」
「その為に大量の油を持ってきておるのだ。当然であろう。山も森も全て焼き払えば罠も無くなろうと言うもの…。我が母を殺した罪はこれ如きでは拭いきれぬ。山に森に油を撒け…。此の島全てを焼き尽くせ。」
 冷たい目で泓穎が言った。
 陽は皆に指示を出し、そして大鼓が鳴り響く。その合図は麃煎の耳にも届く…。
「合図だ…。」
 倭族の戦を後方で見ている麃煎が言った。
「真逆本気で島を焼くとは…。」
 王嘉が言う。
「お前さんがいらん事を泓穎に言うからだ。」
 小さな声で麃煎が言った。
「本気でやるとは誰も思いません。」
「確かに…。」
 と、二人はブツブツ言いながら兵士達に指示を出す。秦兵達は流石に気が引けたが歯向かう訳にはいかない。山に森に大量の油を撒き火を放った。
 火はゴウゴウと燃え広がりあっと言う間に付近は炎に飲み込まれて行った。高天原を焼き尽くす此の火は今より一月間の間燃え続ける事になる。モクモクと天に昇る煙を見やり三佳貞達は不安を募らせた。


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