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読むだけ歴史 律令国家

 前回、飛鳥時代を勉強しました、今回は、その飛鳥時代に行った政治活動の一つである律令国家の成立をやっていきたいと思います。初めに、中大兄皇子らが行った改新政治についてですが、まず663年唐、新羅の連合軍に責められた百済wp助けるために、朝鮮に軍を送ります。その戦いを白村江の戦いと言います。実際その戦いは敗れました。次に、中大兄皇子が都を近江の大津宮に移します。そして、668年に即位し天智天皇になります。さらに、670年に初めて全国の戸籍を作ります。しかし、天智天皇の死後跡継ぎをめぐって、大海人皇子(弟)と大友皇子(子)が争う壬申の乱というものが起こります。後に天武天皇の弟である大海人皇子が勝ち、天武天皇になります。これらが、改新政治の進展でした。次に、律令国家についてやろうと思います。まず、律令国家の歩みとして天武天皇が天皇の地位を高めるために、大王から天皇という名前に変えました。さらに、大津宮だった都を飛鳥に戻し、富本銭という銅銭を作りました。持統天皇は、694年に本格的な都である藤原京を作り、「日本」という国号が定められました。次に、どのように律令国家は成立したのか?それは、大宝律令という大きな法律を定めたことでした。大宝律令は2つ、中央の役所の仕組みと、地方の仕組みに分かれており、中央は2官8省といって、太政官、神祀官の2官と太政官の下の8省という役職で政治を動かしていくということです。さらに、都の整備や天皇を中心とする政府を朝廷と読んだりするなど、天皇と貴族が中心となって運営していくと定めました。次に、地方の仕組みですが、地方は国、群、里に分けられました。ちなみに、地方である大宰府は大陸との外交もやっていたので、「遠の朝廷」と呼ばれていました。このように、仏教が広まるにつれ、大陸の整った法律なども伝わりました。これにより好き勝手やっていた豪族たちは、天皇に縛られ、天皇や貴族たちは全国を支配していきました。まだまだ面白くない時代ですが、引き続き頑張りましょう。

1, 663年に起こった百済を助けるために、朝鮮に軍を送って戦った戦いを何というか?
2, 中大兄皇子は668年に即位して何という天皇になったか?
3, 「2の答え」の跡継ぎをめぐる戦いを何というか?さらに、それに勝った天皇は誰か?
4, 律令国家の歩みとして、天武天皇は何という銅銭を作ったか?
5, 律令国家の歩みとして、本格的な都である藤原京を作ったのは誰か?
6, 701年に制定された法律はなにか?
7, 2官8省の2官は神祀官ともう一つはなにか?
8, 地方は、何と何と何に分けられたか?
9, 福岡にあった大きな国を何というか?

答え
1, 白村江の戦い
2, 天武天皇
3, 壬申の乱 天武天皇
4, 富本銭
5, 持統天皇
6, 大宝律令
7, 太政官
8, 国と群と里
9, 大宰府

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