百人一首で伸ばす読解力講座第8回:「わがいほは」(喜撰法師)
今回は「六歌仙」(『古今和歌集』の序文で特に有名な歌人として名前を挙げられた6人)の一人である喜撰(きせん)法師の歌です。
わが庵(いほ)は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
【現代語訳】私の庵は、都の東南にあって、(そこで私は)このように住んでいる。(それなのに)世の中をつらく思ってこの宇治山に住んでいるのだと、人々は言っているらしいよ。
「庵」(イオと読みます)は、主に、出家した人が世の中から離れるために作った仮の住まいを指します。「たつみ」は昔の方角の言い方の一つで、「辰(たつ)」と「巳(み)」の方角、すなわち東南のことです。喜撰法師は出家してから平安京の南東にある宇治山に庵を造って住んでいたのですね。
さて、「しかぞ住む」の「しか」ですが、「このように」という意味です。それが「ぞ」で強調されているので、「ほら、このように住んでいるんだよ!」とでも言うような気持ちでしょうか。
では、どのように、つまりどのような気持ちで喜撰法師は暮らしているというのでしょう?
読解のヒントは後半(下の句)です。人々は「あの喜撰という坊さんは、世の中がつらいと思いながら住んでるらしいよ」とウワサしているというのです。
歌の作りからして、前半の「私は」に対して後半は「人々は」と対比して述べています。そうすると前半にある「しか」は、「人々はそう言ってるらしいけど、そうじゃなくて自分は!」というニュアンスになり、「私は平和に」とか「私は心おだやかに」とか「楽しんで」という気持ちが「しか」になるでしょうね。自分に対する世の人々の適当な推測を、フフンと鼻で笑っている喜撰法師の顔や思い浮かぶようです。
明るい気持ち、前向きな気持ちで「しか」を読み味わってみましょう。