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「追い続けたいもの」に出会いたい
昨日、この記事を書いた。
簡単に言うと、自分が「追い続けたいもの」をこれから見つけていきたい、ということ。
そこで、これからはしばらくの間、私が「やりたいこと」「追っていきたいこと」を見つけていこうと思う。
なぜ『好き』を見失ったのか
20代の私は、「『好き』がいっぱいだよね」と言われるくらい、好きなことに埋もれて暮らしていた。
それが、次第に『好き』を見失って現在に至るわけだけど、その原因はなんとなくわかる。
「時間がない」ことだ。
疲れを癒すだけで精いっぱいだった
もっと言えば、毎日が
「やるべきことをやって疲れる」
↓
「疲れをとる」
の繰り返しで、「やりたいこと」ができる時間がないということだろう。
自分の時間をある程度自由に使える大人であれば、その「やるべきこと」をうまく調整して、自分のやりたいことをやる時間を作る(外注したりとか)。
だけど、それが一番うまくいかないのが「子育て期」だろう(介護とかもそうだと思う)。
なぜかというと、乳児がいる家庭で親がやるべきことは、「24時間スタンバイ」だからだ。
子育てにすべての時間を捧げた
あまり愚痴を言いたくはないのだけど、私の子育て期は、ひどかった。
両親は新幹線で行かなければ会えないところに住んでいる。
住んでいるところに親類や友達がいない。
夫は子育ては女の仕事だと思っている。
加えて、
我が子は少なくとも新米の母親にとっては「手のかかる子」だった。
この生活の中で疲労を解消できないまま毎日が過ぎ、「自分」というものに思いを馳せる時間もなく、時々「自分は何のために生きているんだろう」と思った。
自由な時間に「何をしたらいいかわからない」
我が子が幼稚園に行くようになったら、しばらくの間「何をしたらいいかわからなくなった」。自由な時間の使い方が分からなくなってしまっていた。
少しずつ、リハビリのように自分のために時間を使うようになってきたけど、何年もやっていなかったから、うまく時間を使えないままお迎えに行くこともしょっちゅうだった。
我が子が小学校にあがっても、我が子は不安が強くて、しばらく毎朝一緒に登校した。
1年生の秋、やっと落ち着いてきて一人で学校に行けるようになった。
その年の冬に、コロナがやってきた。
現状はスタートライン
暗い話はこのくらいにして、今の自分の状況を書いてみる。
去年の10月~11月に、大量に本を読み漁った。そして、「何か」をつかんだ。
そして、12月にnoteを書き始めた。
noteを始めて5ヶ月、いろんな気持ちの変化に出会えて、今、「好きなことしよう」という気持ちになった。
この半年くらいは言ってみれば、「スタートラインに立つための体づくり」をしていた感じだ。
そしてこの時期を終えてみて「私は『好きなこと』が『本を読むこと』や『音楽を聴くこと』」と思っていたけど、それはなんだか違うような気がしてきた。
世界を「追う」
好きなことを「追う」ために、手段として「本を読む」。
好きなことを「追う」ために、手段として「音楽を聴く」。
もちろん、「何でもいいから読みたい」「何でもいいから聴きたい」ということも、なくはないと思うのだけど、「世界観」というか味わいたいものがあるからそれをしている、のではないかと、今は思う。
時間を作って、いろいろやってみよう
この初期の記事、1つもスキがついていないのだけど(笑)、これは私の昔からの持論。
やったことがないことを、できないと思うことはもったいない。
「これは『難しい』」と思っても、「でもできるようになりたいなあ」があれば、しばらく継続してやってるうちに楽しくできるようになるかもしれない。
むしろ、今までやってこなかったことにこそ「追いたい」が隠れている可能性がある。ハードルが高いと思っていたことに。
ただし、やってみて「これは『耐えられない』」と思うことからはすぐ離脱していいと思う。
ということで、出足鈍いタイプだけど、小さな好奇心を見逃さずに、時間を作って、いろいろやってみて、「追い続けたいもの」に出会いたいと思う。