「手を貸す」ということ

子供を育てていると、「手を貸した方がいいのか」「手を貸さない方がいいのか」ということについて、とても、迷う。

色々な失敗をもとに(つい先日もそのことについて失敗した)、自分なりに、小学3年生の我が子について、「手を貸す基準」を考えてみた。


<手を貸す基準>
1.本人が明確に、「手伝って欲しい」と思っている

2.本人が自分なりに、やれることについては頑張っている

まずはこの2つを満たしていることだけを手伝うことにした。


自分が今までやってきたことで「やってはいけないことをしてしまった」と思う場面は、このどちらかについて破ってしまっていた。

1の場合、本人が「自分の力でやり遂げたい」と思っていたり、または「この案件についてはやる必要はない」と判断しているケースがあると思う。

2の場合、最悪なパターンは「お母さんが全部やってしまう」だ。

これは、「全部お母さんにやってもらいたい」と思っているケース(丸投げ)と、本人は「やる必要がない」と判断しているのに、母の方が「やる必要があるのだから、私が手伝ってやらなければいけない」があると思う。


自分の最近の行動から実際の例をあげてみる。

<1の場合>
学校での活動について、班での活動をすることになっていた我が子の班のプランを聞き出し、全員が平等になるようにした方がいいと思い、勝手な口出しをしてしまった。

反省点
子供の自主性をないがしろにしてしまった。
不平等を作ってしまったり、そのことについて子供同士でもめることもまた勉強だという視点がなかった。
子供達が「今日は楽しかった」と言えることがゴールで正解だという勝手な思い込みが、私にあった。


<2の場合>
我が子が友達と、子供同士の待ち合わせをしていたのに、ちっとも待ち合わせの時間に間に合うように行動していなかったため、「そんなことでは間に合わないよ」と言って急き立て、急いで支度をするように促した。

反省点
後から知ったことだが、結構ルーズな約束をしていたらしく、遅れたところでさほど問題でもなかったらしい。
「子供の喧嘩に親が出る」という言葉があるが、「子供の約束に親が口出す」のも、控えた方がいいと思った。

約束を守れなかったことから学ぶことも、いっぱいあるだろうし。


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考察、というよりも反省文です。

今後、自分がまた同じような事をした時に、ここに書いたことを思い出せるように書きました。


note書き始めてもうすぐ1年になるけど、なんだか初期の頃の書き方っぽくてなんだか懐かしい感じがしました。


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