【日々の、えりどめ】第1回 空想文集と遠い都市からの手紙(一)
わたしの書類鞄にはいま、草稿が数枚、ひそんでいる。誰にも見せないまま、取ってある。右肩には、金色の留め金。
その冒頭には、「襟留文集の序」と題してある。見せたくないわけではないのである。ほんとうは誰かに、見てほしいのである。
消えてゆくもの。こういう古い世界にいながらに、ふと、見えるもの。惜しい風景。燻りを伝える、褐色がかった、その悔しさ。そういうものを、そういう感情を、仕方噺でもよいから捉まえて、それに相応しい文章で描けたならば。ひそかに、そう思い続けている。
しかし、それがどうにかなるわけではない。そう思っているだけなのであるから。そうは問屋が卸さない。色とりどりの絵草紙問屋に今日も今日とて掛値に出かけるが、色とりどりに、かわされるだけ。
追いかけようと思っても、脚力がないのである。それがいまの立場と、実力である。火の点いたように鮮やかな荷車はその後ろ姿を霞ませながら、今日も道の向こうに消えていく。そんな空想力だけは、未だ消えない。
はためく。翻る。浮かされる。自分はどうなれるのか。なれないのか。そんなことばかり考えている。夢の蝶なのか、蝶の夢なのか。そんな故事付けの浮遊感にも、近い。
そうして煮え切らない、固まりきらない、そんな日々を過ごしている。文章もまた斯くの如く。表現したい気持ちはある。表現したいこともある。けれども、臆病なのである。あるいはまだまだ時間をかけなければならない。もっと自分の身体に経験から生まれる言葉を染み込ませなければならない。もちろん駆け出しの落語家という身の上の、環境的な問題もある。
そうして序文だけが出来上がったのであった。見せたくないわけではないのである。ほんとうは誰かに、見てほしいのである。
わたしはいま、その序文の草稿を取り出す。わたしの書類鞄から。そうしてここに、とりあえず書き写してみる。
襟留文集の序
なくても良いものだが、あった方が良いもの。必ずしもなくてはならぬというものではないのだが、あれば必ず重宝というもの。重宝でありながらも、扱いは案外ぞんざいなもの。
そのくせ忘れてしまうことが、多くあるもの。よく忘れるくせに、忘れては困るもの。しかし忘れたとて、やはり重大な問題にはならないもの。
そんなものはないだろうか。
貸し借りがきくもの。それも何の負担もなく、口約束でよろしいもの。誰のものでもないもの。使い回しで、まったくよろしいもの。
それでいて探しているときは、なかなか見つからないもの。そして懐中や小物入れの中から、ある日ふと発掘されたりするもの。
それほど多くは持っていないが、さて、いくつ持っているのかはわからないもの。ひとつひとつに名前をつけてあげて、把握しているわけではないもの。
浅草の路地を入った薄暗い万屋なんかで、並んでいるようなしろもの。必ずしも高価ではないもの。むしろ安直なもの。それでいて、たしかに、日々の襟元を糺すもの。
多くは語らない、存在の秘密。胸元のあたりに隠された、軽やかに湾曲した、銀色の小品。
そんなものはないか。あるならば、集めてみたいと思った。
襟留というものは、大凡、着物を生業にするものにとっての小間物であって、一般的には馴染みがないものと思われる 。しかし馴染みこそないものの、このちいさな鉄や銀やアルミ製の細工は、つねにその影においてきらりと鈍く光るようなすてきなところもある。
しかしそれはまた、かんたんな説明と、かんたんな紹介によって、じゅうぶんに伝わるものであるし、それもできるだけ丁寧にわかりやく伝えることによっては、その品物にまちがって手を伸ばすこともないだろうと思われる。
もちろん使い方という使い方もない。その形自体が即用法であって、その形状、いわばその文体に即して、なんの仲介も注釈もなく、それがそのまま表現であり、内容である。
だからそのしろものにふと手を伸ばしてみるひとは、きっとそのゆるやかな胸元が少なくともだらしなくはだけないくらいには必ずや留まるはずなのであって、いわばそのくらい単純なものである。
しかして、まさしく、そのようなもので良いのである。そのようなものは、ないか。ないならばこさえてみたい。集められるものならば集めてみたいと思った。
某年某月 文集の作者記す
【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。
在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。
若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。
主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年