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【試し読み】スリーク、イ・ラン『カッコの多い手紙』(吉良佳奈江訳) プロローグより

スリーク、イ・ラン『カッコの多い手紙』(吉良佳奈江訳)

《手紙には何度も(カッコ)を使いましたね》
ミュージシャンで、フェミニズムの同志。先行き不明のコロナ禍に交わされたイ・ランとスリークふたりの往復書簡。
猫と暮らすこと、妊娠する身体、憂鬱な心の話を分かち合い、ヴィーガニズムや反トランスジェンダー差別を語り合う。私的なことと社会的なこと、共感と対話のあいだを行き来しながら紡がれる優しくゆたかな言葉たちは、あたらしい距離を測りつづけている。


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プロローグ

スリークの言葉

子どものころは今のスリークがうらやむほど“なりたいもの”が本当にたくさんありました。にっこりと頬杖をついて空を見上げるような朗らかな子どもではなかったけど、夢はとてもたくさんありました。歌手、作家、ラジオDJ、作詞家、教師、ギタリスト、作曲家……創作に関連する職業がほとんどですね。そして幼いリョンハ(キム・リョンハ、私の本名です)がうらやむほど、今の私は願っていたアイデンティティをほとんど実現しています。もちろんそのアイデンティティがカラフルな“締め切り”になってカレンダーをぎっしり塗りつぶしていることは、全然うらやむべきことではありませんけど。

イ・ランさんと手紙を交わすプロジェクトを始めて、私はついに何人かの人から(主に編集者さんから)“作家先生”と呼ばれるようになりました。ああ、作家だなんて! 作家のスリーク先生だなんて! なんて素敵な呼び名でしょうか。呼ばれるたびに胸がいっぱいになります。そして作家としてイ・ランさんと交わす手紙はその呼び名よりもずっと素敵です。このごちゃごちゃしてさびしいソウルの空の下、顔を合わすことがなくても(もちろん顔を合わせたくないという話ではありません)深く、透きとおった、細やかな話を分かちあう相手に出会えるというのは、それよりもはるかに映画みたいな話です。このすばらしい結びつきを見守ってください。

子どものころに集めていた将来の夢の中で、今まだ叶えられていないのはギタリストくらいですね。기타ギターのㄱの字も知らない私が、どうやって伝説のギタリストになっていくのか、その感動スペクタクル物語を見逃したくなかったら、注目してください。もし、この本を書き終えた私が今と変わらず기타ギターのㄱの字も知らなかったとしても、작가作家のㅈの字程度を理解していればよろしいでしょうか。そのときに出会うあなたへ、私たちの手紙を贈ります。


イ・ランの言葉

2020年8月末からスリークに手紙を書きはじめました。小説やエッセイを書くときとは違って手紙には何度もカッコを使いましたね。「カッコが多すぎるけど……大丈夫かな?」と悩んでいるときに、スリークもまったく同じことで悩んでいると知りました。ではどうしてカッコをよく使うことになるのか、今のところ私たちはふたりとも理由を見つけられていないので、とりあえずカッコの多い手紙をやり取りすることにしました。

普段私は文章を書いてから音声読み上げ機能を使って原稿の内容を耳で再確認します。音声で聞いてみると目だけでは確認できなかった文法のずれやタイプミスをより簡単に見つけられるからです。ところで、私が使っていた音声読み上げサイトではカッコの中の内容は読んでくれないのですよ。どんな理由でカッコの中の内容を除外するのでしょうか(こちらもまた理由を探しているところです)。いくつかの音声読み上げサイトをテストして、今はカッコの中の内容まで読んでくれるところに定着しました。ところが、カッコの中の内容まで全部音声で聞いてみると、目で見るときとは違って文脈をぶち壊しているように感じます。特に(笑)(ハハハッ)(ダメ!!!!)などは邪魔になりますね。やっぱりカッコの中の内容は声に出さずに心で読むべきなのでしょうか。

手で書いて、目で見て、耳で再び聞く、書き物の過程はとっても疲れます(文章を書くことだけでなく、すべてのことは疲労を伴うでしょうけど)。ところが決められたひとりに向かって書く文章は、想像していたよりもずっと楽しいのですごく驚いています。仕事なのか、仕事じゃないのか混乱するほど、楽しさが疲れに勝るこの仕事をすることになって、うれしいです。これから“過労カロ”にならないように、少しだけの疲労と、たくさんの楽しみでスリークに手紙を書いていきたいと思っています(そしてカッコカロの中の言葉は心で読んでください)。

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『カッコの多い手紙』괄호가 많은 편지
スリーク、イ・ラン 著
吉良佳奈江 訳

http://www.kankanbou.com/books/kaigai/kaigai_essay/0593

B6、並製、224ページ
定価:本体2,000円+税
ISBN978-4-86385-593-9 C0098

装幀 成原亜美(成原デザイン事務所)
装画 クイックオバケ

私のイントロが響かなくてもがっかりしないでください。私はヒップホップ出身なので、パンチラインでガツンと盛り上げますから。
 ――スリーク

〈スリークに手紙を書かなくちゃ〉と思う時間を集めて、手でつかめる何かを作って見せてあげたいです。(それこそが手紙なのでしょうか!?) 
 ――イ・ラン

【著者プロフィール】

スリーク(Sleeq/슬릭)
京畿道九里市生まれのミュージシャン。本名はキム・リョンファ。アルバムに『COLOSSUS』、『LIFE MINUS F IS LIE』があり、2022年にはシングル『있잖아(あのね)』を発表した。オムニバスや同僚ミュージシャンの作品への参加も多い。2020年にMnetで放送された音楽リアリティショー「グッド・ガール」に“地獄から来たフェミニストラッパー”として登場して話題を集めた。誰も傷つけない歌を作りたいという。元野良猫のットドゥギとインセンイと暮らしている。

イ・ラン(Lang Lee/이랑)
ソウル生まれのアーティスト。イ・ランは本名。アルバムに『ヨンヨンスン』『神様ごっこ』『オオカミが現れた』。『悲しくてかっこいい人』(2018、リトルモア)、『アヒル命名会議』(2020、河出書房新社)、『何卒よろしくお願いいたします』(2022、タバブックス)ほか、多くのエッセイ、小説、書簡集が日本語訳されている。音楽、文学、イラスト、映像などマルチに活躍している。元野良猫のジュンイチと暮らしている。


【訳者プロフィール】

吉良佳奈江(きら・かなえ)
静岡生まれの翻訳家・韓国語講師。翻訳にチョン・ミョングァン「退社」「たべるのがおそい」vol.7(2019、書肆侃侃房)、ソン・アラム『大邱の夜、ソウルの夜』(2022、ころから)、チャン・ガンミョン『きわめて私的な超能力』(2022、早川書房)など。家族と植物と暮らしている。


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