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【日々の、えりどめ】第2回 空想文集と遠い都市からの手紙(二)

 妄想だけが逞しくて例えばそれだけで一冊の書物が出来上がってしまうことはよくあることだが、それがいつまでも架空図書の棚に開架されていようとは限らない。透明でひ弱な縫い糸と水っぽい劣化性ホットメルト糊による空想工房の製本技術では、それらの背表紙はあらゆる現実世界の反発力によってぱちんと音立てて弾けてしまうのだから。
 その音が聞こえるだけ、まだ良い。ぱちんと音が鳴って、その音に気が付いて体が動き出せば、散らばったページをもう一度手元にまとめることは容易い。しかしたいていは無音で、その本は無期限の未返却図書になって忘却の時効を迎える。
 留めておかなくてはならない。留めておく。それが大事である。そのために留め金がある。あらゆる、ちいさな留め金たち。金色の、銀色の、鉄製の、木製の。ゼム型の、目玉型の、鎹型の。あるいは黒い綴じ紐。片結び。蝶々結び。対策方法としての、小道具たち。
 例えば「襟留」というものも、それらちいさな留め金のひとつである。「えりどめ」と読む。平べったいS字形の、かわいらしい和小物である。
 若手のはなしかである。本を、夢見ている。そしていつか柔らかな座布団が柔らかいままに感じて、それがそのまま自然のように感じるような日が来ることを夢見ている。両翼にそれなりの抵抗を同じだけ感じながら、何の躊躇いもなく表現できることを夢見ている。
 けれども現状、むずかしい。真面目とだじゃれとが、ない交ぜになっている。どういう振舞いをしたら良いのか、わからないことがある。襟元は常に乱れている。言いたいことはいつも喉元でつっかかって、出てこない。どちらともつかないようなそんなわたしの住処は、あらゆるもので散らかって無頼漢の如くひどい部屋である。
 どこからかふらりと仙人でも現れてはくれないだろうか。霞を食って生きていけるような術でもあれば、諭してくれないだろうか。腕枕しながら、そんなことばかり考えている。

 そんな折、仙人こそ登場したわけではなかったが、夢のように遠い都市からある手紙が届いた。何か連載を持ってみませんか――という、手紙であった。わたしは目の前の靄が少し晴れる気がした。
 福岡県福岡市。その活字を見ていたら、祭囃子でも聞こえてきそうな気がした。そんなわけはない。同じく時世の被りを受けている、一都市である。しかしなぜだろう、同じ国であるというよりも、もっともっと遠い異国のような気さえしたのである。薄暗い部屋の中で、わたしはぼんやりとしてしまった。あるいは自分の文章を受け入れてくれる出版社があることが、単純に、嬉しかった。
 東北に生まれて、俳句を詠んでいた祖母の影響で、物を書くようになっていた。作家志望で上京して、思うようには上手くいかず、それから一時期は関西を放浪したりしていたが、それでも文芸の表現は細々と続けていた。噺家になってからも、隙を見てはそんな自分の個性を出そうとはしていた。けれども、なかなか機会には恵まれなかった。
 それがまさか、霧の中のように遠い都市にある出版社から、ふと、小さな連載をいただくというのは、われながらおもしろい運命だと思った。これを機に少しずつでも良いので、身近なところから何か表現してみたいと思った。
 ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん――そんな歌を思い出した。というよりも、折良くその青森の詩人の特集号の新刊が届いたので、このたびお世話になる遠い都市の出版社名と短歌を中心としたその出版目録といまの気分と郷愁とが相まって、わたしの目はその一行を自然に選んでいたのである。
 むかしのものに憧れて、気が付いたら、噺家になっていた。手に触れたこともない、むかしの語彙をあえて目先に転がしてみて、憧れに誠実に自分の表現を遡りながら、「歩む」というよりは「駈ける」というような直截的な身体感覚で、蝶追う手つきでもいいので、文章を捉まえていきたいと思った。あるいは何十年かかってもいいから、いつの日かそんな文章を集めた文集を、こさえてみたい。
 わたしの本の夢は、どうやら未だ覚めていないらしい。散らかった部屋の中で、遠い都市の覚束ない青い輪郭に縋るようにしてできるだけ希望的な物語を描き始めた邯鄲の夢枕たるわたしの腕は、しびれを切らしている。思うようにならない身体は、これはこれで何かの仙術のようにさえ思えてきた。あるいはここまではわが文集の夢路に繋がる、簡単な、枕。そんな洒落さえ考えている。ほとんど自炊すらしていないわたしの一炊の夢はよって穀類の煮える音さえも聞こえないが、こんな故事まで持ち出して汗顔ながらも文章を綴りたいわたしは、たとえ両足が上手く運べずに這いつくばうようになろうとも、不恰好ながらもそれでもむかしの文章術を真似てみたいらしい。消えてゆくもの。こういう古い世界にいながらに、ふと、見えるもの。惜しい風景。そういうものを、いつか描けたならば。――わたしは序文を再び書類鞄にひそめる。

 以上が、大体の起筆動機である。
 空想文集と遠い都市からの手紙を抱えて、逃避行としての仙術ではない、あくまでも現実的な処世術として、ばっさりとひとまとめにまずは最初の一ページ目に、ぱちりとここに留める。さて、ここからが、本題。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年


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