【日々の、えりどめ】第17回 小品集 幾つかの心変わり
絵文字
いわゆる絵文字というものを使うことには、抵抗があった。これは大方勘違いだけれども、自分はそんな柄じゃあないと思い込んでいたのであった。もっとも、ほんとうはただ使うのが気恥ずかしかっただけのであるが、そうでなくとも何事も考えすぎるわたしには、それはひとつの日常の重大な悩みの種であった。そういう返信作業が日々積み重なってくると、どうも滅入ってしまうのである。
例えばエクスクラメーションマークであるとか、文字にすればこれだけ嵩張るが、あのたったひとつの記号だけでも、そのやりとりにおいて先に使われたとすると、ああ、いけない、こっちは帯刀さえしていなかったのに、いきなり抜き身でばっさりとやられてしまった、という気がして、あわてて自分も真似をしてみるが、なんだか不自然で、その記号を文末に付けて送ってみたあとで、ああ、やっぱりやめておけばよかった、もしかしたら失礼だったのではないか、そんなことをさえ考えるのである。
しかしそんな折、ある尊敬するお方と少しやりとりをする機会があって、爾来、わたしはこんな悩みには横着していない。というのは、そのお方が、絵文字を使ったのである。それはそのお方の風貌や性格からすると、意外なことであった。使われた絵文字は、もっとも一般的であろう満面の笑顔のものである。
わたしは、何を格好つけていたのだろう。そう思うと、何事も考えすぎる自分がかえって恥ずかしくなった。絵文字は、常に笑顔である。そうだ、尊敬すべきである。あの方が送ってくださった絵文字をたまに見返しては、そう思う。笑っている。今日も、笑っている。
いいことである。根本が、平和である。あのようになりたいと思う。絵文字のように常に変わらず笑って、それでいて偉ぶらなくて、使い勝手がよくて、挨拶しても、挨拶させても、誰の気分も害するようなことはおそらくないようなもの。それよりもっと自然なもの。
実ハ軽率くらいがいいのかもしれない。
生活しない
芸術関係の知人と付き合うことが多くなって、お宅に伺ったりするようなことも増えてきた。そのたびに目に映る彼らのそつない生活風景は、いつでもわたしの憧れであった。
あるひとは一日中アトリエにいて、珈琲を飲むときだけ、数分間居間に出てきてくつろぐのが何よりの楽しみだと語った。その方は、彫刻などをするお方である。あるひとは朝六時にはピアノのある書斎で仕事をはじめて、午前中にはその日のことをすべて終わらせ、昼下がりにはもうお酒を少しずつ飲みはじめるとのことだった。それはとある喫茶店で知り合った音楽家から聞いた話である。彼らにはそれぞれに効率的なスタイルがあって、ものづくりのリズムがあって、そして生活があった。
わたしはまだまだ、生活者ではないらしい。もしかしたら生活者とは、ほんのごく一部の、特権的階級のための言いぶりではなかったかと、そんなことをさえ思った。わたしにはまだその力も、その地位もないらしい。
生活しない。ある日、ふとそんな文句を思いついた。
生活しない。これはわれながらなかなか力強い逆説だと思った。
空中滑走路
その名称があまり好みではないのでここには書きつけないが、わたしの住む地域には日暮里を始発とする空中滑走路が通っている。滑走路とはへんな表現だが、それは文字通り乗り物が「滑走する路」であるから、飛行こそしないが、この表現がしっくりとくるのである。
わたしはいつ頃からかこの鉄道(正確に言うと案内軌条式鉄道)と風景が好きで、特別な愛着がある。おそらく、これは珍しいことである。
先日、ふとしたきっかけで飲み友達になったタクシー運転手の方にこのことを話したら――それは店仕舞いをしたあとの舎人駅前の喫茶店で、数人のお馴染みで人目を忍ぶようにひっそりとやっていたのであるが――それは、変わっていることだと言われた。しかしその運転手も、渋谷辺りを運転しているのはいやになるが、この辺りの風景は走っていて妙に気持ちはいいと、そんなことは言っていった。
それから少し飲んだあとで、ご機嫌になって口笛を吹きながら、その方は仕事柄不規則な生活でろくに寝ていないようで、「それではみなさん、お休みさない」と立ち上がって陽気に演説したあとで、千鳥足でその店の上階にある集合住宅の一室へ消えていった。わたしも早々に切り上げて戸外へ出た。――そのとたん、肌寒い秋風と一緒に上空で発車のベルが鳴って、少ない客を乗せた空中鉄道が重い腰を上げるように徐々に加速しながら、わたしの頭上を一途に過ぎていった。――例えばこんな日々の風景も、わたしにとってはどうしても集めておきたい、この近未来風鉄道の情景のひとつなのであった。
わたしはいまではこの鉄道に関する記録、その風情、あるいは詩的な感情などについて日々書き留めていて、もうすぐノート一冊ほどになる。そしていつかはそれらをまとめてみたいと、密かに画策している。
東都北部の暗闇の只中に遠く明かりを点けた車輛がからからと滑走するたびに――あれは、きっと、わたしのものである――そう思うのである。
【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
1990年7月7日福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
2015年林家正雀に入門。現在、二ツ目。
若手の落語家として日々を送りながら、
文筆活動も続けている。本名は齋藤圭介。
著書『汀日記 若手はなしかの思索ノート』(書肆侃侃房)
2022年5月上旬発売!