【日々の、えりどめ】第14回 ジオラマ模型
例えばしゃがんで、小さな鉄道模型を追いかけていくようなカメラワークで、幼き日々の部屋や家具などがピント外れに向こうの背景にくもりながら流れていって、望遠鏡やその他多くの玩具のある屋根裏部屋へと続く階段などは余所目に、今日は線路が敷かれたことで別世界と化した日常の光射す居間の広さをじゅうぶんに体感しながら、鉄道の窓や車輪や、床板の木目だけが低い目線で鮮明に捉えられていて、もくもくと白い煙りのようなものさえもポッポ出ているようで、それらはとてもよいつくりで、これはクリスマスにせがんで買ってもらったそれなりに高くつくもので、大切なもので、寒い冬の只中の暖かい部屋の中で、冬休みの間中、時間も宿題もすっかりと忘れて遊んでいる――というような映像が、手のひらほどに歪曲された記憶の瓶に中に燐寸の火のように揺らめきながら過ったとて、本当は家中に線路をつなげるだけのおこづかいも、二階へ続く階段や望遠鏡のある屋根裏部屋さえもなかったのであるが、こういう夢の鉄道はいつでも思い出の中に巡っていて――出発進行――いまでもたまにふと乗っていたりするのである。
あるいは単純な憧れというものが、大いに加担していたかもしれない。
わたしは幼少時、鉄道玩具というものを所有していなかった。しかしもちろんその所有欲はあったし、わりと裕福な友達の家で一緒になって遊んだこともある。そしてあらゆる広告や噂話によっても肥大化したり変容したりしていたその思いが、どうやら未だに枝分かれしながら形を変えて積み重なっているようなのである。それらは空色のプラスチック製レールのようにかちりと音を立てて正確につなぎ合わさるという類のものではないが、それら憧憬の道筋の断片が部分的にもつながって、きっとこういうある程度根拠のない柔らかい映像となって、今頃になってわたしの脳裏に上映されるのである。
その憧れの真意こそわからないが、しかしまた思い返すと、あの鉄道玩具というものは、自由にも不自由にも線路をつなぎあわせていくという建設的な面白味ももちろんそうだが、むしろその造築した世界に対して、いかに継続の希望を待たせることができるかということに、その醍醐味があったような気がしてならない。
そしてドミノ倒しでもなんでも、自ら建設した世界に持つ前向きな期待――いけっ、とまるな、まだまだいける――という、あの心のかけ声には、懐かしいものがある。あの感情は、いい感情だと思う。もちろんその限られた幼い視界が非常に狭い世界であるということもあるのだが、それは持続可能であるという小さな目標と達成の他には何の目的もない、純粋なかけ声であると思う。
思えばわたしは高級な鉄道玩具こそ持っていなかったが、その廉価版のようなものを、町の玩具屋で買って遊んだことはあった。それらは安物だったためか、まともに稼働するようなものではなかったし、工夫と改良をしなければすぐに横転しまうような代物だったが、それがかえってわたしを熱中させたことを覚えている。たおれるなよ、いけいけ、まだまだ――声にならぬ声で、自ら湧き上がるようなあの微妙な興奮、そしてその間歇的な悔しさを、わたしはいまでも仄かに覚えている。
幼いわたしの憧れをつなぎとめているもののひとつには、誰に向けたものでもない、こういう無垢な声援があるような気がする。
*
例えば立ちすくみながら、途方もない世界の隅っこで、そんなたわいもないことを思い出している、ひとりの人間がいたとする。それは、わたし――それは、ちょうど帰郷した日のこと。
郡山駅前ビルディングの最上階は、プラネタリウムや展望フロア付きの科学館になっている。わたしは帰郷するたびに、ここに来る。
その展望階に、市の歴史をミニチュアで再現したNゲージの鉄道ジオラマがある。わたしはその日、この鉄道模型を茫然と目で追いながら、件のような甘く覚束ない記憶を、ひとり思い出していたのであった。その抜け目ないレイアウトの起伏と小さな車体の定速運転の緩やかさは、妙にその時のわたしに寄り添うように感じられた。
それは一種の、現実逃避だったかもしれない。噓のように早く過ぎてゆく日々の中で、噓のようなニュースや出来事についていけない自分がいて、その日のわたしはまるでもぬけの殻であった。あるいは単純に何の自信も進歩もないわたしがいて、久々の帰郷をしたことで尚更からっぽになってしまったのであった。
季節はまだまだ冬であった。展望階から望める東西南北に地理の確かな存在を伝える懐かしい風土は、まだまだ荒んでいるような色合いであったが、それでもどこか春めいているような全体であった。それはわたしの一時の記憶の地平を広げるにはじゅうぶん過ぎるパノラマであった。
郡山市内に、布引高原という名所がある。春にはいちめんの菜の花が、夏には向日葵が咲き誇る、高原である。むかし、母と何度か訪れたことがある。そんなことを、ふと思い出した。そしてそんなことは、すっかりと忘れてしまっていた、自分がいた。噓のように澄み切った青空と四方山を見渡しながら、あの高原はあの辺りだろうかと思ったりした。
月は東に日は西に。頼りないひとりの人間の春秋を巡りながら、あるいは二十二階の展望の微かな慄きを足元に感じながら、わたしはそれからもずっとその展望階のジオラマ模型の前にいた。そして鉄道模型の小窓からその客席に入れるのではないかと思うくらい小さな自分が、そこにいた。
もっとも、わからないことが多すぎる。そしてわたしはその無知に対して、弱すぎる。それでいていかにもわかったつもりでいるから、情けない――Nゲージの外側に繰り広げられた現実世界は、百五十分の一にも満たないわたしの世界観では、どうにも解決できなかった。そして振り返れば、現状、どうしようもないわたしが、そこにいた。
しかし、なぜだろう――これは、噓ではない――弱っていたからだろうか。自分の小ささに呆れてしまった、なれの果てであっただろうか。ジオラマ模型の大きなガラス越しにその時わたしが思っていたことは、聞こえてきた声は――とまるなよ、まだまだ――という、あのかけ声であった。
小さな建築家であったあの頃のわたしが、そこにいた。そして卑小であるからこそのわたしがいるのが、わかった。わたしは世界に向き合っていたのである。ジオラマの世界に。また来る春にむけて、自分の現在の弱さに、悔しく握りこぶしをしながら。それは純粋な声援であった。誰に向けたものでもなかった。
いけっ、たおれるなよ――倒れるわけがないのだ、よくできた、一流の展示物が――それでも、わたしは声を出していた。声にならぬ声を。揺れながらも前進しようとする、ひとつの小さな存在に向けて。
いけいけ。たおれるなよ。とまるな。まだまだ、いける――
【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。
在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。
若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。
主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年