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【日々の、えりどめ】第10回 駄菓子屋(二)

 この駄菓子屋が火事になったのは、わたしがおそらくまだ低学年の頃である。夜中に急に町内放送がけたたましく響き出し、何台もの消防車がサイレンを鳴らしながら出動したので、さすがに幼かったわたしも目を覚まし、それが大きな火事で、しかもその火事はあの駄菓子屋であることを知った時の胸の動悸、そしてあくる朝、その跡形もない無残な焼け跡を見たときの途方もない感情は、今も忘れられない。

 駄菓子屋の老夫婦は幸い無事であったが、その火事は全焼であった。昨日まで駄菓子屋があったその同じ場所はただ真っ黒い大きな燃え殻になって、新しく拓けた裏庭の雑草の風景がやけに鮮明な緑色に見えたことを覚えている。まさしく夢のあと――という具合に。わたしはいまでも、あの焼け跡の草の緑を思い出す。

 この経験は、幼少時にわたしに火は怖いものであるということをしっかりと植えつけた。そしてある程度の現実をあきらめさせた。駄菓子屋がなくなるのは嫌だったが、百聞は一見に如かず、それは見る限り、もう完璧に消滅したのだから。その後その火事の原因は煙草の不始末か線香の燃えさしであったことを、母親から聞いた。

 それよりも当時わたしが気にかかっていたのは、あの色とりどりの駄菓子や、文具や、画材たちのことであった。それは悔しいというよりも、いや、もちろん悔しいのは悔しいのであるが、もっと別の感情であった。別の悔しさであった。

 河鍋暁斎が幼名を周三郎といった頃、町内で大火事があり、越前屋という鳥屋も焼けた。この時周三郎は逃げるどころかこの鳥屋から鳥が飛び立つ様子を――鴨が、雁が、孔雀が、その羽を燃やしながら哀れに舞い飛ぶ様を――われも忘れて写生したのだという、そんな逸話が残っているが、わたしがもし天才絵師であったならば、あの日の燃え盛る駄菓子屋も紙の上に留めておきたかっただろうと思う。もちろんわたしにはそのような才能も何もないのでとにかくこうして言葉にしてみようとするに過ぎないが、それでもわたしはいまもあの悔しさに身を焦がすような思いをすることがあるのである。

 だからわたしは懐かしい駄菓子屋の風景に出会うと、落ち着くというよりは居ても立っても居られないという気がしてきて、それから足元から体中にある種の期待的な予感が走るのである。その予感は不穏であり、祝祭的である。それは一種の興奮状態であるが、予感と言いながらどうやら過去から哀れにも逃げるようにしてやってくるものらしく、それは少しずつ燃え上がるようにと表現するのがやはり適当である。

 わたしはきっと、しっかりと解決をしなかったのである。その燻りが種火となって、とうとうこんな散文を書かせるに至る。しかしいくら駄菓子屋を事細かに描写してみてところで、あの日の悔しさを果たせる気はしていない。それが虚しさの説明になろうとも思わない。わたしはいまも突き止められないでいる。消し忘れた、言葉の余燼を。

 残り火の始末をしなかったのは、あの頃のわたしであったのかもしれない。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年


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