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【試し読み】スリーク、イ・ラン『カッコの多い手紙』(吉良佳奈江訳)イ・ランよりスリークへ「“ヤバい、妊娠した?”って思うのは私ひとりじゃないみたいですね」

スリーク、イ・ラン『カッコの多い手紙』(吉良佳奈江訳)

《手紙には何度も(カッコ)を使いましたね》
ミュージシャンで、フェミニズムの同志。先行き不明のコロナ禍に交わされたイ・ランとスリークふたりの往復書簡。
猫と暮らすこと、妊娠する身体、憂鬱な心の話を分かち合い、ヴィーガニズムや反トランスジェンダー差別を語り合う。私的なことと社会的なこと、共感と対話のあいだを行き来しながら紡がれる優しくゆたかな言葉たちは、あたらしい距離を測りつづけている。

プロローグの試し読みはこちら

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イ・ランよりスリークへ
「“ヤバい、妊娠した?”って思うのは私ひとりじゃないみたいですね」

 今、夜中の3時半です。家で横になっても眠れなくて、その時間に耐え切れなくなって少し前に作業部屋に来たところです。今年は不眠症も不眠症ですが、寝入っても長く眠れなくてとても辛いです。不眠症とはずいぶん長い付き合いですが、こんなふうに眠ってすぐ目覚めてしまうのは新しい症状なので、これを何と呼べばよいのか悩んでいます。
 たまに夜中の作業部屋に来ます。パートナーと喧嘩をして気づまりになったときや、どんなに眠ろうとしても眠れなくて頭にきたときに、作業部屋に来ているみたいです。だいたい憂鬱な気持ちで家を出ることになります。前から気がふさぐと夜中に家を飛び出したりしていました。子どものころは家を飛び出すとマンション団地の中にある遊び場のブランコに座っていました。遅くなると巡回しているおじさんに見つかって叱られて家に戻されることがわかっていたので、巡回の時間になると滑り台の上に登って隠れました。警備のおじさんから隠れるついでに、もしかして私を捜しにくるかもしれない母からも逃げて、滑り台に登って静かに息を殺していると、面白いことが起こりました。それは町の猫たちが1匹、2匹と遊び場に集まってくることでした。猫たちにとって遊び場は巨大なトイレだったのでしょうか? 砂でいっぱいの遊び場に集まった猫たちは、悠々とあちこちを歩き回ったり砂の上を転がったりして、たいそう幸せそうな時間を過ごしていました。夜の遊び場は猫たちのものだということを知ったその日は、とても悲しい日で(悲しくて家を飛び出したのですから)、また、うれしい日にもなりました。

 大学生になってから初めて自分の名前で契約した家は、家賃が15万ウォンの屋上部屋(*)でした。あまりに狭くて、寒くて、暑いところでした。大学に入ってすぐに付き合いだした恋人と暮らすために用意した部屋でしたが、その人と数百回、数千回ケンカしたことだけ覚えています。恋人との喧嘩が長くなると狭い屋上部屋を飛び出しました。子どものころ家を飛び出すと滑り台の上に登ればすみましたが(あそこは思ったよりも安全な空間でしたね)、私が住んでいた大学前の屋上部屋の周りはあまり安全な空間ではありませんでした。憂鬱になって夜中、あるいは明け方に家を出て路地を歩くといろんな男たちが声をかけてきました。大企業の名刺を突き出して“一緒にモーテルに行きたい”と言う人(クソヤロウ)もいたし。夜の外出が安全でないと感じてからは、気づまりでも夜には外を歩き回らないようになりました。今も同じです。自転車で5分の作業部屋に来ればいいし、夜中に道を歩いたり走ったりするのは今でも怖いです。
*建物の屋上に設置された簡易的な居住空間。夏は暑く冬は寒いが家賃は安い。

 眠れない時間、私の頭はぐるぐる回っています。強制終了をしてもどうにも電源が落ちないコンピューターのように、同時にいくつもの考えが広がって眠くなる暇がありません。最近私の頭は“堕胎罪廃止(*)”の件でぐるぐる回っています。数日間、関連記事や文章を探しては読んで、心をしっかり持って自分の妊娠中止の経験についての短い文章をSNSにアップしました。一度も公開したことのない話でしたが、急に“どうしてこれまで話していなかったんだろう?”いや、“どうして隠していたんだろう?”と思いましたね。短い文章をアップしてから、そのときの記憶を少しずつ書いてみようかと思って、最後にはスリークへの手紙に書かなくちゃと思いました。
 ふと、2年前に私たちが一緒に参加したステージが思い浮かんだんです。いつもと同じくフェミニズムに関連するイベントでした(私たちはフェミニズムイベント四天王のうちのふたりじゃありませんか)。あの場で初めてスリークと挨拶をしましたね。楽屋でスリークはヴィーガンサンドイッチを食べていて、私はノンヴィーガンのサンドイッチを食べていたのを覚えています。楽屋を出て、私の直前だったスリークのステージを楽しく見物しました。白いつなぎを着たスリークが「これはイゴン私のものネッコヤ!」とラップを始めると観客たちは、はちゃめちゃに飛び跳ねだしました。あの日、あのイベント会場ではトップスをはだけさせた女性たちがずいぶんいました。自分の番になってステージに立ったとき、目の前で楽しそうな表情でトップスを脱ぎ捨てた(もう少し正確な表現を使ってみます)観客たちと向かい合って歌っていると、ふいに自分もトップスを脱ぎ捨てたいと思いました。そう思いながらステージで何曲か歌って、途中でトップスを脱ぎましたね。あのとき、大きな歓声を聞いてとってもうれしかったのを思い出します。
*韓国では2019年に堕胎罪に違憲判決が下され、2020年末をもって廃止された。

 私が自分の妊娠に気づいたのは、大学3年の短編映画ワークショップの準備期間でした。撮影直前だったのではっきりと覚えています。妊娠の事実を知ったとき、まっさきに考えたのは“撮影はどうしよう?”だったんですよ。15分の短い映画でしたが、その一編を作るために長いことシナリオを書いて、授業を受けながら文章を直し、なけなしのお金で製作費を工面して、周りのみんなに何度も頭を下げてスタッフを集めてようやく準備した撮影が迫っていました。

(つづきは本編で)

この手紙への返答
スリークよりイ・ランへ「もしも私が妊娠したらどうするかパートナーに聞いてみました」は試し読みはこちら

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『カッコの多い手紙』괄호가 많은 편지
スリーク、イ・ラン 著
吉良佳奈江 訳

http://www.kankanbou.com/books/kaigai/kaigai_essay/0593

B6、並製、224ページ
定価:本体2,000円+税
ISBN978-4-86385-593-9 C0098

装幀 成原亜美(成原デザイン事務所)
装画 クイックオバケ

【著者プロフィール】

スリーク(Sleeq/슬릭)
京畿道九里市生まれのミュージシャン。本名はキム・リョンファ。アルバムに『COLOSSUS』、『LIFE MINUS F IS LIE』があり、2022年にはシングル『있잖아(あのね)』を発表した。オムニバスや同僚ミュージシャンの作品への参加も多い。2020年にMnetで放送された音楽リアリティショー「グッド・ガール」に“地獄から来たフェミニストラッパー”として登場して話題を集めた。誰も傷つけない歌を作りたいという。元野良猫のットドゥギとインセンイと暮らしている。

イ・ラン(Lang Lee/이랑)
ソウル生まれのアーティスト。イ・ランは本名。アルバムに『ヨンヨンスン』『神様ごっこ』『オオカミが現れた』。『悲しくてかっこいい人』(2018、リトルモア)、『アヒル命名会議』(2020、河出書房新社)、『何卒よろしくお願いいたします』(2022、タバブックス)ほか、多くのエッセイ、小説、書簡集が日本語訳されている。音楽、文学、イラスト、映像などマルチに活躍している。元野良猫のジュンイチと暮らしている。


【訳者プロフィール】

吉良佳奈江(きら・かなえ)
静岡生まれの翻訳家・韓国語講師。翻訳にチョン・ミョングァン「退社」「たべるのがおそい」vol.7(2019、書肆侃侃房)、ソン・アラム『大邱の夜、ソウルの夜』(2022、ころから)、チャン・ガンミョン『きわめて私的な超能力』(2022、早川書房)など。家族と植物と暮らしている。


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