【日々の、えりどめ】第6回 紫玉ねぎ(二)
市場の出荷注文票には、赤玉ねぎ、もしくはアーリーレッドとも表記されることもあるこの野菜は、仕事中にもそれほどお目にかかれるものでもなかった。しかし改めて電灯の下に翳して見てみると、その肌には奥深い光沢があって、異様なほど鮮明であった。わたしはまるで夜の市場という鉄と光のアジトから、何か重要な機密でも盗み出してきたような気がしていた。
家に帰ってきて早速その扁球型の違和感に包丁をコトンと落としてみたあとでも、その緊張はほぐされなかった。むしろ包丁を入れるたびに出現する、流線形というのか、涙滴形というのか、正しい言い方かわからないが、ともかくあの多肉の鱗片がその一端を紫色に着色させながら波状に描き出される模様には、幻惑的なものさえあった。
借りてきた猫。余所行き。他人行儀。人見知り。露わにされた紫玉ねぎと対峙しながら、わたしはいまの感情に一番適切な表現を探した。しかし、そのどれも完全には当てはまらなかった。それはあるいは色気のない男の部屋に別世界の令嬢でも来たような――そんな気がした。もしくは、ちいさな妖精。これは大仰な表現かもしれないが、思い返すと一番近しい表現のような気もする。
それからわたしは何を思ったのだろう。わが狭いキッチンには小さな暖色の照明の下に自分で取り付けた木製の一枚棚があるのだが、その上に置いてあった小瓶や茶器などを下ろして、わたしはいま様々に刻んだばかりの紫玉ねぎをその棚の上に、さも芸術的に、さも立体的に飾り付けてみて、そんな作業にしばらく夢中になってしまったのであった。
空腹も忘れて、ひとつの食材に気を惹かれるままに惹かれて、それで時間をとられて、全く自分は何をしているのか――そう思わずにはいられなかったが、緊急事態宣言も発令されていたその頃、さて今後、わたしはどうすればいいのだろうかというような焦りよりは、どうやら「紫玉ねぎ展」を開催するだけの明るいあきらめにも近い呑気さだけはあったらしい。
それからもなお自宅のキッチンに取り付けた自家製ギャラリーにて紫玉ねぎをさも映り良く並べてみたり重ねてみたりしていたが、そうはいっても夜勤後の腹を満たさなければ眠りにもつけないので、わたしはその展示物の調理に取りかかった。
調理と言っても、この独身男にできることには限りがある。何より手っ取り早いのは生食で、都合良く冷蔵庫にはドレッシングはあったので残り物と一緒にサラダにして食べることにしたのだが、その一瞬の宝飾品を何疑いもなく口に運んだら、これがとても辛くて食べられたものではなかった。
おそらくは何か下拵えの必要があったのだろう。あるいはそもそも生で食べるには適していないものだったのかもしれない。時間をかけたからか。切り方が悪かったからか。そんな原因も考えられる。
そうかといってそれから手の込んだ調理も思いつかず、結局わたしはそれらを鍋でことことと煮込んで、お馴染みのコンソメスープにして食べることにした。その選択には味も風味も何遜色もなかったが、それほど美味しいというわけでもなかった。それよりもあの優美な紫玉ねぎは全て半透明になってしまって、姿態もくたくたになって、見た目はごく普通の玉ねぎとも何ら変わらないものになってしまったので、わたしにはそれが心底虚しい気がした。
色彩の痕跡もないただの透明な繊維になってしまった、ひとつの、紫玉ねぎ。それでも未明の空腹を満たすには充分すぎるほど充分で、不足ないものであった。ふと時計を見ると、もう朝の五時過ぎであった。東向きのわたしの部屋の窓ガラスは、既に白々としていた。
わたしは一体、何をしているのか。何になりたいのか。わたしは、こんなことがしたかったのだろうか。そんなことを思っていた。布団を敷いてキッチンに目をやると、濃紫の外皮だけが流し場の新聞紙の上に残っていた。そのやけに色めいた残骸を見ていたら、自分がひどく悪いことをしているような気さえした。まさしくその姿は、見かけには質朴を表明しながらも、日々発色する生存の驕奢がぬぐいされない、自分そのものの裏返しであった。
化けの皮が剝がれる。――それが一番適切な表現のように思えた。
【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。
在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。
若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。
主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年