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与えられたものを活かす

私はずっと以前、女性で生まれたことを何度も恨んだことがある。

建築の仕事をしていた時は、生理が来るたびに現場で不自由を強いられ、生理が来ていることを知られまいとして、痛みに耐え、下着や作業着が汚れないように氣を使った。

生理なんか無くなればいいのに。

いつも呪っていたからか?私は10代の頃から子宮系の病氣で通院をよくした。

子宮後屈、卵管炎、子宮内膜症。
最後は米粒大の子宮筋腫が、半年でコブシ大の大きさになり、外科手術をすることになった。

当時私は32歳。バリバリの仕事をしていたので、執刀医にお願いした。

「子宮を取ってください。」と。

でも、子宮そのものはなんの病もなかったので、医師としてはそんな感情論で子宮は取れません、と一蹴された。

子宮筋腫の手術は下半身麻酔で行われた。

麻酔が効いているけれど、音も良く聞こえるし、内臓が引っ張られる感覚も胃から上あたりで感じていた。

「なんで女だけこんな思いするんだろう?」

あの手術の時間はずっとそんなことを考えていた。

手術が終わり、切除した筋腫をトレーの上に乗せて、医師は私に見せてくれた。
ボンレスハムのような本当に拳のような赤い塊。

「先生、触らせてください。」

そう言って私は筋腫に触れた。

柔らかいけれど、硬かった。

こんなものが私の子宮にくっついて育ってたんだ。

その赤い塊がどこか愛おしくなった。

医師が、
「これはあとで細胞の検査をします。」と言ったので、私は

「先生、終わって残ったものはホルマリン漬けにして私に返してもらえますか?」と聞いた。

医師も看護婦も驚いていたが、
「それはできません。検査が終わったらこちらだ適切に処理させていただくことになります。」と断られた。

この赤い塊は元々私の一部なのに。
なんで返してもらえないのかな?

そんなことを思っていたら麻酔による眠氣が来て、そこから先は覚えていない。

 

そんな32歳の出来事があってから、あれほどひどくて日常に支障を大きくきたしていた生理痛がほとんどなくなった。

切除した赤い私の一部の筋腫は、私の熱意?に負けたのか、医師がポラロイドカメラで撮影してくれて残しておいてくれた。

私はその筋腫をことあるごとに眺めていた。

私の一部。

 

お正月に、ハムのブロックを切るたびに、あの光景を思い出す。
変態か?私(笑)。

 

女である痛み、女である面倒臭さ、女である不便さ。
当時は、それが嫌でたまらなかった。

私は11歳で初潮がきて、そこから50歳になるまで、40年近くほぼ毎月28日周期で生理が来た。

わかりやすい体だった。

そんな私も、49歳の頃から生理の時の出血量が極端に少なくなってきた。


「もうそろそろ閉経かな。」


その頃にマグワイヤー(伴侶)と出会った。

世に言う「閉経=女が終わる」そんな時だった。

 

子供を産むこともなく、妊娠でお腹を大きくすることもないまま閉経を迎えようとしていた当時、私はどこかで「全く後悔していない」と思っていた。

でも、愛する人と心を通わせ、何度も体を重ねていると、どこかで「この人の何かを生み出したい」と言う想いが溢れてきたのは認めるしかなかった。

子供を産めなかったと後悔はしていないけれど、愛する人との証を残せないと言う想いはどこかにあった。

 

だから私は、マグワイヤーとの一緒に活動することに強い熱意を持ち続けられたのだろう。
彼との何かをこの世に残したくて。

生理がいざ上がってみたら、確かにせいせいした反面、とても意外な感情が湧いてきた。

寂しさだ。

アンダーヘアーが薄くなり、白いものも生えて、潤いが減り始め、膣の周りが硬くなりやすくなっていく。

当時あれだけ、呪うほどに嫌がっていた生理の日々と体の状態がなくなると寂しさを感じるってどう言うことか?(笑)

そりゃそうか。

だって40年連れ添った体の状態が、そうでなくなるんだもんね。

どこか自分じゃなくなったようなそんな感覚が生まれていた。

マグワイヤーのおかげで、閉経後の硬くなりがちな膣や膣口は今でも柔らかい。

でも、昨年少し、リアルまぐまぐ(挿入を伴うまぐまぐ)が月に1〜2回になることが数ヶ月続き、私の膣口や膣が硬くなって行ったことがあった。
そんな自分の入り口が硬くて痛い状態って、実はとても「悲しい」感じを持っていることに改めて氣付くことになった。

マグワイヤーが私を愛してくれることでやっと柔らかさを取り戻した部分が、また徐々に硬くなっていく。。。

愛する人がいるのに。
伴侶は元氣なのに。

どうして私だけ老いていくの?

そんな悲しさと寂しさだった。


今日で14日目。

マグワイヤーと毎日連続リアルまぐまぐをしている。
欠かすことなく毎日肌を重ね、エネルギーを交わし合い、リアルな挿入があることで満たされている肉体を感じていると、
毎日がなぜか大切に思えるようになっている。

目の前のもの、目の前の人と、本当に丁寧にエネルギーを交わしたい。

目の前のものは全てギフトなんだ。とつくづく思う。

あの痛みと恨みしかないように思えた、女性特有の生理の周期がギフトだったことにいまになって受け取れるようになった。

私が女だから、マグワイヤーと愛しあえている。

私が女だから、こんな感情や経験を持つことができている。

私が女だったから。。。


あの親の元に生まれたから私がいる。

あの仕事をしたから今の私が喜びを感じる。

あの経験をしたから今の伴侶と出会えた。


何一つギフトでなかったものはない。


それを知っている今は目の前のものを活かすことしか道がないこともわかってしまった。。

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