怒りの脱臭 ①
「逃げ恥」を見て、自分を縛る呪いから僕も逃げてもいいのかもしれないという気持ちになれたということを書いたんだけど、
僕は本当に少しだけ自分におじさんらしいことを許せるようになったし、過剰に自分を責めて傷つけるようなことはしなくてもいいのかもと思えるようになった。
気持ちが変わったことで行動も少し変化して、しなかったことをしてみるようになったりそして思いのほか自分に行動を許すことの難しさに面喰らったりもしたけど。
そんなことをしてたら、変化は劇的でなくても変化なんだと思うようになったりして、だから劇的じゃないと変化じゃないなんて思い込むのもやめて、小さな変化にも驚いたり楽しんだりしてみてもいいんじゃないかとも思えるようにもなった。
人の価値観はちょっとのことでも大きく変わって、またゆっくり元に戻るらしくて、だから僕はこの変化がまた前のように過不足なく元に戻ってしまうのが怖くていやだなぁと思っていたのに、今日かなり戻ってしまいました。その怒りのブログだ。
今日は仕事の打ち合わせがあって、僕が勤めている会社に先方が来てくれる形だった。僕の勤めている会社はマンションの一室なので、玄関で靴を脱いで室内に招き入れた。
電話だけでやり取りしていた相手なのだけれどお会いしたら結構なおじさんで、打ち合わせの部屋に通していざ仕事の話を始めたら、おじさんの体臭がとんでもなくて、僕はもう、参ってしまった。
なんでこんなことになっちゃうんだよ!というくらいの臭いに僕はもう頭に来てしまって、それはその臭いに対してというよりは、臭いをそのままにしていたおじさんの意識に対しての怒りだ。
年齢を重ねてたり体調のコントロールがうまくいかなくて臭いがでてしまうことはおじさんである以上しょうがないと思うし、それに関しては僕も何も言わない。だけれども、まったくの無頓着に関しては自分が気をつけている以上相手を許すことができない。
手前味噌だけど、僕は自分の体臭に対してすごく気を付けていて、それはもう神経症と言われてもおかしくないくらいのレベルなんだけど一応ちゃんとしている。
僕は自分が体臭に対して過敏に考えている以上、それが無頓着ゆえの臭いなのか努力の方向が間違った結果なのかかなり詳しいところまで臭いを嗅いだだけで判断できてしまう。今日の打ち合わせに来た人の臭いはまさにただの無頓着によるものだった。個室で40分ほど臭いに耐えながらなんとか打ち合わせを終えて、彼が帰った後も自分の鼻の中に臭いが残っているような気がして辛かった。そして実際僕が着てた服には臭いが結構ついていて、帰宅したら家族に「服からすごい臭いするけど大丈夫?」と指摘されるくらいだった。
僕はもう怒りに怒ってしまって、あのおじさんが僕を臭くしたことと、臭いままでいられるような無頓着さを決して許さないと思ってしまった。そしてこの出来事は、やはりおじさんの無頓着が周りに迷惑をかけて実際に人を傷つけていることを僕に自覚させた。自分のキモさへの無頓着さを許してはいけないと思ってしまった。僕は、自分に許しかけた加齢の呪いを断ち切るための兆しを、この臭いによってすべて巻き戻してしまったのだった。 せっかくの楽しい流れを!この怒りは、ものすごいぞ!
僕は決めた。 僕が行っているおじさんの脱臭対策を明確に記すことによって、僕よりも対策を行っていないすべてのおじさんを呪うことにした。世の中の男の人は少しでも自覚をもって改善しなくてはならない。
世の中には加齢臭用の石鹸とか体臭対策のグッズもたくさんあるけれど、僕なりに研究を重ねた結果正しい使いかたをしないと効果が出ないものがあって、買っただけで満足しているようなおじさんとか、無頓着ゆえに激臭振りまいているおじさんを少しでも減らすために警鐘を鳴らす意味で記して呪う。ただこれはあくまで「僕が行っている」というものであって、僕の体質の場合はこれで体臭が0になるというものである。この程度で0なるくらい軽度と捉えるのかここまでやらないとダメなのかは読んだ人の印象によるけれどこれは一つの事実の呪いだ!
と意気込んで体臭対策がっつり書いたんだけど、LINEBLOGの仕様で本文が長すぎて投稿できないということなので次の投稿にします。