ただ生きるとはどういうことかと考えてみようと思ったら、意外と難しかった。 僕は、普通に生きているだけの状態に慢性的な罪悪感があって、自分を痛めつけながら生きることを常としている。 自分が悪いものであるため、「何か良くならねばならない」ということが生活の目的になっていて、それ故に、世間で見かける悪いままのものに憤ったり嫉妬したりしている。 「おじさん」なんていうメタイメージがまさにそうで、みんなでおじさんという言葉のイメージ悪くし過ぎてしまったせいで、年齢を重ねるだけ
みんなでおじさんという言葉の意味を悪くしすぎたせいで、おじさんの側も自分を大事にすることを放棄しなくてはいけなくなっている。 ◯大阪のムード 仕事の関係で1週間ほど大阪に来ているが、 大阪の街や地方都市に来ると、おじさんが 「なんだかそのままの姿で生きているな」と感じる。 大阪に限らず、仕事でよく行く地方都市では、おじさんがおじさんの姿や言動のまま、特に周りに気兼ねすることなく生きている。 大きな声で騒ぎ、笑い、威圧し、年下と女性を見下しながら、それが当然となってい
中学受験を控えた娘の志望校の文化祭に、家族で見学に行くことになった。 クイズ研究会のブースでは、早押しクイズに挑戦できるということだったので参加することにした。 司会のクイズ研部員から 「拝火教ともいわれる世界最古の宗教は何教?」という問題が出て、 世界史が専攻だった僕は、勢いよくボタンを押し 「ゾロアスター教!」と答えた。正解した。 会場は「おおー」という空気になったんだけど、僕の回答席の後ろにたまっていたクイズ研の部員たちがヒソヒソと「中二病、、、」「中二病だよあ
雨。新宿駅。 丸の内線の出口から、地上に上がる階段で、大きなスーツケースを一段ずつひっかけながら登っている20歳くらいの若い女性を発見した。 スーツケースはとても重そうで一段引き上げるのにも苦労している様子だったので流石に見過ごせず声をかけることにした。 後ろから話しかけると怖いのと、荷物を上げます以外の目的が行動から滲み出ないように、前を通り過ぎて少し階段を登って、一旦彼女の視界に入ってから、大荷物に気がついて2〜3秒待って「流石に見過ごせず降りてくる」意味になる導線
8月 長すぎる。 今年も私はどうしていたかな。 たぶん来年は公共の交通利用もキツそうだから、冬の間にバイクの免許取るかもしれない
別に元から上手くはなかったけど、最近、自分の書く文章がなんか変になってきてる。 句読点の位置とか、助詞を使う場所や回数が変で、意味が通ってなかったりすごくわかりづらかったりする。 仕事のメールとかは、なんとか見直して形整えて送ってるけど、何度も起きる文章の間違いや気持ち悪さが辛くなってきた。 自分が生み出す変な文章に妙な既視感があるなと思ったんだけど、これ、SNSやネットでたまに見る、 「なんでこんな文章になっちゃったんだよ! 」と言いたくなるようなおじさんが作る文章の気
会社の代表に就任して2期目もひとまず無事に終わりそうで、僕はとてもよく頑張っていた。 経営者らしいことは本当に何もしていないんだけど、それでも運営を担当していく中で、組織をこうしてみたいという思いは生まれてきた。 それは「安心と安全が担保されている環境こそが人を伸ばすことを証明したい」ということだ。 人にプレッシャーをかけて得られるものは上限が決まっているような気がして、金額に換算したら大体10億円くらいな気がする。 これは少なくないし目標とするのに充分なんだけど、そ
◯読書の例 例えば、「本を読むほど賢くなるわけではないということを、本をたくさん読む人ほど知っている」みたいなことがある。 さらに、その内実についてしっかり語れる言葉を持っている人までいる。 「ただ量を読むのではなく、どう読んだかだ。 もっと言えば、本を読むことで自分の何が変化して世界がどう広がったかを感じ取ることが肝要なので、読んだ量を賢さと結びつけるのは愚かだ」と言葉にできる。 本をたくさん読むことでそれに気がつき、考えが進んでいることになるため、読書の複雑系にタッチで
他人と揉めるのが苦手で、感情的になったり、怒りの雰囲気や言葉を向けるのも向けられるのも苦手だと思っていた。 自己評価が低く、プライドやこだわりがないと周りに対してはアピールしていたが、実際には他者の言動を毎秒評価して見下していた。 つまり、自分には人を査定する基準や、自分の生理において譲れないものや価値観がかなりあるということだった。 そんな感覚で生活しているので定期的に、自分が大事だと思う相手には、考えたことを伝えたい気持ちになることがある。 こだわりがあって、揉
◯マインド 「半ズボンというより自分のことが好きじゃない」というマインドがあるため半ズボンを履くことができない。 半ズボンに関しては、肌が出ているとか半ズボン男性の独特の怖さがあるとか細かい理由もいろいろある。 しかしそれよりも僕には、それを身に付けている自分の姿がみっともなくてキモくて加害的に感じるから取り入れられないファッション要素がある。 帽子とか、Tシャツをタックインすることとかもそうだ。 おじさんが、僕が何を着ればいいのか、あるいは何を着なければいいのか、
◯ホント感 相変わらずおじさんについてずっと考えてるんだけど、僕ももうすぐ40歳で、言動や見た目のおじさん度に「ホント感」が出てきて、毎日嫌だなと感じている。 今までは、本人はそんなこと思ってないし既得権もバリバリ駆使してるのに免罪符的に「こんなおじさんじゃダメだよな!」と言っている人のこと嫌だなと思っていたから、僕自身はなるべくこの言葉使わないようにしていたのだけれど、いざ自分におじさんのホント感が増してくると言わないわけにはいかないんじゃないかと思ってくる。 僕の場
◯同意なき 「相手が嫌がってなかったからOK」が、完全に間違っているのはわかる。 自らの優位な立場から判断しているのがフェアじゃないし、相手が断れない状況や背景にあることも考えられない、傲慢で無自覚な態度だ。 これには議論の余地も何もなくて、浅はかな判断をそのまま批判すればいい。 これの、立場が逆なだけのパターンってあるかなと考えていた。 先輩とか立場が上の人に何かを頼む状況って、結構ある。 そして、意向を伝えた目上の立場の人が、 めんどくさいと言葉に出したり、表情
アップデートという言葉がよく使われるようになって久しいが、その内実まで考えている人は少ない。 言わなくなる、やらなくなるだけのことに「アップデート」という言葉を当てて、悦に入るおじさんが多くて嫌だなと思っていた。 考えを改めるのは簡単なことじゃないから、 「禁止」くらいの単純なことはおじさんでもできるので、行為の改めという意味を残してあげているんだろう。 そろそろ、アップデートという言葉でおじさんの甘い考えを救うのをやめるか、アップデートという言葉は行為でなく考えを改める
毎日しんどくて、物事を理解するのにとりあえず「これはこういうもの」と単純化して収めないとパンクしてしまうし、それほど考えなくちゃいけないことが多い。 しかし単純化するほど「それは自分が悪いから」という結論に向かってしまう考え方の癖のせいで際限なく自分を痛めつけてしまうため、生活が困難になってきた。 なので最近は、複雑なものを複雑なままに捉えられるようになりたいなと思って取り組んでるんだけどなかなか難しくて困っている。 この困り具合が、複雑な物事を捉えるのに必要な筋道という
◯ブログの思い出 このブログ、もう7年くらい書いている。 読み返す楽しさというか、考えを記録しておいたことでこの時こんなふうに考えていたのかと記憶を思い出すのに役に立ったり、何度も不安に思う事柄も一度取り扱ったことがあるという事実に安心したりしている。 このブログでは主におじさんや男性や自分の既得権や嫌なところについてずっと書いているけれど、5年以上前に書いていたことでも「間違ってたわー」と思ったことはほとんどない。 世の中に溢れる男性の悪さはいつまでも新鮮に悪く、良くな
◯上限 20歳くらいの頃は、自分にプレッシャーをかけて追い込んだ時に得られるものは無限にあるように感じていた。 しかし最近は、僕に限らず、人間が自分にプレッシャーをかけて得られるものは上限って大体決まってる感じがする(なんとなく100億円くらい?)けど、安心安全で得られるものには無限の平野が広がってるように感じる。 未来に対する評価が変わったということなのか、自分のやれることの限界がわかってきたということなのか、歳をとったということなのか、いろんな説があるんだけど、いわゆ