体感備忘録
僕の感覚では、5年前くらいから、他人を評価する基準の中に、他人でも政治家でもタレントでも、その人の人権感覚どれくらいしっかりしているかジェンダー感覚どれくらい平等か という要素が含まれるようになったと感じていた。大御所と言われるような人が世間はずれな価値観をともなった発言で炎上しても治らないない様をたくさん見てきた。
2〜3年くらい前から、その割合がどんどん増えていって、徐々に必須の条件のようになっていった。 これは、発言する側も、聴く側も同じように学んできて、その感覚を身につけてきたので、より公正に判断できるようになった。新しい時代のアイコンになるようなキャラクターを持った人は皆、多様性に基づいた目線を持ち、少数派も多数派と同じように、多数派ま少数派と同じようにエンパワメントして、されていた。そして、その感覚身につけられないものは徐々に脱落していったり、聴く側も変わらない相手の価値観に絶望して推すことをやめたり離れるようになっていった。
そして!そして今日、相手の人権感覚に失望して距離を取る時期から、相手の人権感覚が変わった(治ってきた)ことに気がついて、あらためて見直す時期に潮目変わった?
これなんだろう?僕の体感だけかな、梅雨の時期の湿度なのか、オリンピックの高揚感と絶望感なのか、夏に向けた気温のせいなのか、ワクチンの兆しが希望に変わったのか、マジで今日、今日街の空気が、相手を許す方向に、絶望した相手をもう一度見直してみる方向に変わった感じがある。なんだこれ、僕の中の何かが変わったか?
サブウェイのアボカドベジー食べます