「社名を変えろ」という表現狩り
社名を変えれば解決するかのように思い込んでいる人が多いが、表現狩りや言葉狩りは所詮、感情論。そんな主張者ほど、「旧統一教会が世界平和家庭連合等々に名称変更したのは過去の不祥事を覆い隠すためで許されない」等とダブスタを露呈しがち。
>社長は、女子に性的な嫌がらせをしているのが、裁判でも認められました。事務所も調査して認めました。その後、姪が社長になって“その名前を使い続けます”って言ったら、おかしくねって思いませんか
別におかしくない。
個人と法人は別人格。元社長と姪も別人格。一緒くたに考えるのは拡大解釈・差別。名前は単なる記号。法人はレイプしない。
>だって被害者たちは、その名前を見続けることでずっとダメージを受けるじゃないですか。
この理屈は、「旭日旗やハーケンクロイツを見ると戦争を思い出して不愉快だから見せるな」「胸がたわわな漫画のキャラを広告に出すな」「不快なCMを流すな」「加害者が生きて同じ空気を吸っているというだけで虫唾が走るからさっさと死刑に」等という感情論と同根。
だが、そもそも不快感は自己責任、自業自得である(論拠詳細は幣サイト)。
以下、弊サイトより抜粋。
一部個人個性と全部集団属性を同一視する「森を見て木を見ず」やその逆は差別の一大特徴。排除の論理では問題解決しない。
親子は別人格。祖先の罪は子孫にはない。集団も構成員が変われば別組織。「同じ団体名」という理由で同一視するのは差別。
肉体的苦痛の原因は加害者でも、精神的苦痛の原因は被害者本人の固定観念。複数ある個別の因果を混同する限り苦悩は止まない。
原因ではない表層的事象の解消は偽善・自己欺瞞。根本的解決にならない。故に、仮に貧困を無くしても富豪が罪を犯す。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
雑言等は不遇な未熟者の自己投影・同属嫌悪。表現狩り等で自由奪えば却って暴発。必要なのは排除処罰ではなく治療教育。