Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ⑥
(6)「パンプローナ入城」
8/20(土)第3日、晴れ
アルベルゲの朝食は、トーストやシリアル、ジュース、コーヒーなどであった。大勢の巡礼の人たちと前後しながら歩く。皆さん元気である。「オラッ」、「ブエン・カミーノ」の声が飛び交う。「オラッ」は「こんにちは」、「ブエン・カミーノ」は「よい旅を」というような意味で、道を歩いていると、地元の人から声を掛けられる。
私の前を仲良く手を繋いだ中年のカップルが歩いていたので、「オラッ」と声を掛けると、彼らはイタリア人であった。数ヶ月前に結婚したばかりだと、聞いていないことまで話してくれた。
この日は、山の中ではなく、アルガ川沿いの左岸を歩いた。途中、長野県の北アルプスの横尾から上高地に向かう梓川沿いの道に似たところを通る。アップダウンが緩やかで楽だったが、溜まった疲れが出て来ているようだ。橋を渡ったところにレストランがあって、大勢の巡礼が休息を取っており、私もそこでトイレ休憩。
ここからは森が終わり、車道沿いを歩き、日差しが照りつける道を行く。
11時過ぎにお腹が空いたので、日陰に座って宿の朝食に出たパンケーキを食べていると、後からやってきた若い男女四人組も、私の前で昼食を取り始めた。彼らは、私に薄切りのハムとフランスパンを分けてくれた。お礼に「美味しかった」、「有難うございました」と、軽くお辞儀をして、きちんと日本語で伝えたら、ニコッと笑っていた。
大きな町を思わしめる建物群が視野に入るようになってきた。やがて、プールやテニスコートがある綺麗な公園を通過して、橋を渡るとそこからはビルが並ぶ街になった。もうパンプローナ Pamplona市街に入ったのかと思ったが、ナビ(私が使ったのは、Camino Toolというアプリ)で確認したら、まだずっと手前であった。
歩道に刻まれた帆立貝の印に導かれてどんどん進んでいくと、やがて前方に巨大な城壁(写真)が見えて来た。さらに進むと大きな門があった。それらは日本の城壁などと比べてみても大きく、圧倒されるほどの規模である。
町に一歩足を踏み入れると、そこは周囲からは隔絶された世界で、中世に入り込んだかと思うような風景があった。先日のSJPなどとは比較にならないほどの大きな町であった。
日本の城では、城内に住むのは武士階級だけであったが、ヨーロッパでは城内に市民も住んだ。そこから、壁(ブルグ)の中の人(ブルジョワジー)という言葉が生まれた。都市の中は面積に限界があるので、人口が増えると建物は上に伸びて高層住宅化した。
私はここでK先生と合流する予定であった。電話で話している途中で先生の携帯の充電が切れて不通になり、連絡が取れなくなり焦った。それまでの情報を頼りに進んでいくと、幸い雑踏の中に「奇跡的」に先生を見つけ、合流することができた。これもサンチャゴの導きであろうか。
先生はこの3月に勤務先の大学を定年退職し、私がスペイン巡礼に行くという話をしたら、是非一緒に行きたいと申し出られた。最初は全コースを一緒に歩くつもりであったが、日程とスケジュールの関係で、私より先にスペインに入って先に帰国することになっていた。
まず、先生に案内されて、巡礼事務所でクレデンシャルにスタンプを押してもらった。再会を祝してバルBarで祝杯をあげ、また2回の失敗を経て、ようやくATMから200€を下ろすことに成功した。一人になった時に、果たしてできるだろうかと心配が残る。
この町は毎年7月に行われる牛追い祭りで有名である、また、スペインといえば闘牛であるが、動物愛護の観点からか(?)、闘牛場は閉鎖されていた。
さらに、ヘミングウェイがよく行ったというレストラン「イルーニャIruna」に行くと、店の奥に彼の胸像があった。
テラス席は埋まり、人々は酒(飲み物)を前に談笑していた。大きな声の酔っ払いが多い日本の居酒屋とは明らかに違う雰囲気である。酒よりも会話を楽しんでいる風情で、それも長い時間である。こういう飲み方では店は儲からないのではないかと、いらぬ心配をした。このような酒の席なら、酒にあまり強くなく疎外感を感じることが多い私でも、その仲間に入りたいと思った。スペインでは、友人に支えられて道を歩く酔っぱらいを見たことがなかった。
それから先生が宿泊している宿に向かった。
夕食はレストランでとったが、何が出てくるのかは二人ともわからなかったが、美味しかった。
(23.8km +α、55,023歩)