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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉔

(24)「サリアへ」 

 9/7(水)第20日、雨、後にわか雨
 朝の6:15に宿を出た。日本では5時過ぎで、これまででは一番早い出発で、外はまだ真っ暗である。おまけに雨が降って傘をさしているが、強い風が吹き付けている。
 昨日、早く到着した1時間分を取り戻す予定である。暗くて道標が見えないので、アプリのナビに従って国道沿いを歩いた。この道に並行して右側に巡礼路があることに気がついたのは、少し経ってからであった。ただ、暗くてどこから入るのかわからないので、そのまま道路沿いを歩いた。しかし、この道は先の方で巡礼路と合流するので大丈夫だ。数台の車が通過したが、私のヘッドランプの明かりに驚いたのではないだろうか。

 途中、ザックカバーを紛失していることに気がついた。風に吹き飛ばされたようだが、それがいつ、どこだったのか全く記憶にない。探しに行く余裕はなかった。
1時間ほどで巡礼路に合流して村に入ると、アルベルゲがあった。昨日ここに宿泊していたら・・・。しかし7時過ぎなので、時間的には追いついたことが確認できてホッとした。これで、精神的に余裕が生まれ、道も下りとなり、ゆったりとした気持ちで歩いた。この辺りで夜も開けた。
ただ雨は上がったものの風が強く、帽子を2度も吹き飛ばされた。麓の村で、昨日のふたり連のフランス人がレストランで朝食を取っていた。挨拶をして通過した。

分岐を示す道標

このような分岐があると必ず距離が長い方を取った。そちらの方が古い道で昔の様子を残していると思ったからである。足は痛いが、精神的にも余裕ができていた。

多くの巡礼が歩いた道

 通過する村は日本の村に比べて貧しい。道には牛馬の糞が落ちており、踏まないで歩くというのは不可能である。家はどれも薄い石を積み重ねた構造で、崩れかかったような塀や家が多くある。また、どの家も大きな犬を飼っている。

こちらの自動販売機

 植生はほとんどが落葉の広葉樹であった。西日本だとこれに照葉樹が加わる。シイやカシ、クス、ツバキなど日本の代表的な林(常緑の広葉樹林)は東アジアにだけあって、アメリカ大陸、ヨーロッパには見られない植生である。そういう観点からすると、日本に比べてこちらの森は貧相である。

途中、とうもろこしが落ちていたので食べてみたが、飼料用らしく不味かった。麓の森を出たところで休憩し、パンと昨日の宿で買ったミカンを食べた。

 サリアSariaの宿には、14:30頃に到着した。道路は石畳が敷き詰められた立派な町である。アルベルゲの看板が町の至る所にあったが、それらを横目に見て通り過ぎ、坂の上のあたりで宿を捜した。この宿は設備が整った新しいアルベルゲで、明日の行動を考えると、絶好の場所と思われる。

宿の前の道

 この町に宿が多いのは、ここから巡礼をスタートする人が多いからである。K先生もここからのスタートであった。100km以上歩くと巡礼証明書をもらえるのだ。ここからサンチャゴ・デ・コンポステーラまで115kmで、ゆっくり歩いても5日間で到着する。10kgを超える荷を担ぎ、毎日20km以上を歩いて、よくここまで来られたものだと、感謝した。

 町を散策していたら、宿の近くにカトリック教会があった。前にも書いたが、途中で教会があると入って短く祈るのが習慣になっていた。この日はまだ祈っていなかったので、多くの人々と共に自分も入って祈った。前の方から出ようと進んで目を上げると、そこにはマリア像があった。そこはマリアを祀った教会(「サンタマリア教会」)であった。これまでのカトリック教会では、会堂の正面に十字架につけられたイエス像があるが、ここにあったのはマリア像であった。私には初めての経験で、これを見た時、激しい動揺と拒否反応が生じた。これは多神教で、「偶像礼拝」ではないかと。こういう反応が自分から出たことに、自分自身が驚いた。プロテスタントの私には、「マリア信仰」はないからだ。
 ちなみにイエス像はどこにあるのかと探したら、小さい像が横の方にあって、少しホッとした。そそくさと外に出た。頭ではわかっていても、身体が受けいれる準備ができていなかったのだ。

 夕食は、レストランでスパゲッティカルボナーラを食べたが、あまり美味しくなかった。他にワイン、ティラミスの夕食で、〆て13€であった。
(29.8km、53,453歩)


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