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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉘

(28)「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」

 9/11(日)晴れ
 7時前に宿を出た。どういう訳か、あれほど痛かった左足首は嘘のように回復していた。しかし、これからどうなるか分からないので、用心しながらゆっくり歩き出してしばらく様子をみたが、どうやらこのピッチで歩けそうであった。サンチャゴ(聖ヤコブ)のおかげか?
 また、本日はサンチャゴ・コンポステーラの手前に宿をとって、明朝、事務所が開く頃合いを見計らってゴールする予定にしていた。

 昼食は、道沿いにレストランがあって、そこで多くの巡礼が休んでいたので、私もその中に入ってピザとコーラを注文した。例の韓国人学生(P・I君)もいた。ピザは一人で食べられるか心配したが、何のことはない。全部平らげてしまった。

満員のレストラン

  店は昼食時だったので満員で、切り盛りをしている人が一人で忙しそうにしていた、そこで、使った皿やコップを持って行ったら、「グラシャス」と感謝され、「日本人か?」と聞かれた。「そうだ」というと、私の水筒を見て水を入れようかと言ってくれた。
 巡礼はアジア系の中では日本人が一番少ないにも関わらず、彼は「日本人か」と言ったのだ。きっと、私の前に来た日本人が同じようなことをして、彼の記憶の中に特異なこととして刻まれていたのではないだろうか。彼の中では、日本人とはそういうものとして評価しているのだろう。

 空港のそばにある坂道を登っていたら、自転車の大きな集団が私を次々に追い越して行った。その先の坂の上に女性を含む十数名の人たちが、道を塞ぐように自転車を停めて、道標のそばに群がっていた。どうも先ほどのグループのようであった。大勢の目が私に注がれ、何事かと不気味な感じであった。何だろうかと訝りながら近づくと、スマホを私の方に向けて、写真を撮って欲しいということで、私を待っていたのであった。彼らは全員が聾唖の人たちであった。彼らにとっていい記念写真になったに違いない。私も撮ってもらった。

石碑の左側に彼らの自転車が写っている

 後から「コンニチハ」という声が聞こえたので、振り返るとP君とI君であった。「お先にどうぞ」と言ったが、彼らもそれほど急ぐ様子ではなく、結局、一緒に歩くことになった。

お世話になった韓国人学生

 私も宿を取るにはまだ時間も早かったので、その流れで、結局、サンチャゴ・デ・コンポステーラSantiago de Composteraまで行ってしまった。ただ、やはり足首が痛くなったが、ここまで来たら、そんなことはもうどうでもよかった。

市内

 旧市街に入り、狭い坂道を登っていくと、バグパイプの演奏が出迎えてくれ、大聖堂前の大広場に到着した。そこは大勢の観光客であふれ、巡礼たちが歓声を上げ、互いに抱き合って喜びを分かち合っていた。寝そべっている人たちもある。私もその喜びの中に入って行った。
 もう、これで歩かなくていいという安堵感と達成感、そして終わってしまったことへの寂寥感と虚脱感が込み上げて来た。

大聖堂前の広場

 結果的に、P君・I君と一緒に歩いたことで、1日早く到着した。また、事務所での巡礼証明書の発行も手伝ってもらいスムーズに済んだ。私一人であれば、少し離れた場所にある事務所を探すのさえ大変だったろうし、その後の手続きの煩雑さを考えると、どうなっていた事であろうかと思うと、彼らの存在は有難かった。
宿を予約している彼らとは、明日の歓迎ミサに出席することを約束して、そこで別れた。

 しかし、この日の問題はこれからであった。ここに来る途中に何軒かアルベルゲがあったので、今日の宿泊は再び道を少し戻れば見つかるだろうと、たかを食っていたが、それが大きな間違いであった。つまり、もう夕方の6時を過ぎていたので、宿の担当者が既に帰宅していたり、満員だったりして、行く先々でことごとく断られてしまったのだ。想定外のことで、これには参った。

 さらに行くと、ちょうど店の前でタバコを吸っている人がいたので、この店の人ならこの付近の情報に明るいだろうと見当をつけて、近くに宿がないか聞いてみたら、数十メートル先のホテルに案内してくれた。しかし、そこは閉まっていた。そこで、交渉の電話までしてくれたが、結局はうまくいかなかった。(説明するとややこしいので省略)

 足は痛いし、薄暗くなるしで、宿探しをいつまでも続けるのは体力的にもキツかった。野宿を覚悟しなければいけないのかな?などと思っていたら、道向こうにオステルHostelの表示があったので、ダメ元を覚悟して行ってみたら何と宿泊できるというではないか。ホッとして、それまでの緊張が一挙に緩んだ。時間はもう20時頃で、いくらスペインとはいえ、もう既に暗くなっており、これまででは一番遅い投宿になった。

 宿が見つからないというのは、これまでの経験にはなかった。これまでは早い時間の到着であったので、予約なしでも泊めてもらえたのであった。最後の最後になって、新たな経験を付け加えることになった。宿代は19€で、今の状況を考えるなら、野宿に比べるなら「恩の字」である。
 急いでシャワー、洗濯を済ませ、近くのレストランに食事に向かった。小さなエビの揚げたものとコロッケ、そしてワインで、こちらは22.5€とやや高めであった。
 ゴールの日は、ゆったりと旅の喜びに浸りながら、感激を噛みしめながら過ごしたいと思っていたのだが、まさかこんな夜を迎えることになるとは・・・。まあ、こんなものだろう。とにかく、これで私の巡礼の旅は終わった。
移動距離は32km、68,112歩で、これまででは一番長く歩いた。

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