Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉕
(25)「残り100km」
9/8(木)晴れ
サリアから先は、それほど無理をして歩く必要はないので、残された旅をゆっくりと楽しむ気持ちで歩こうと考えていた。しかし、ここから巡礼の雰囲気がガラッと変化した。前にも書いたようにサリアから歩き始めた人は多く、皆元気なので、重い荷物を背負った私をどんどん追い越して行く。彼らの荷物は小さく、服装も、靴もザックもみな真新しい。お喋りしながら、巡礼というより、行楽気分というところか。私のような大きなザックを担いだ人は稀にしか見ない。ということで、足早に歩く人たちの流れに飲み込まれてしまい、ゆったり歩くという気分はどこかに吹き飛んでしまった。
途中で、向こう側から来た人から、障がい者もカミーノができるようにという趣旨の署名を頼まれた上、募金まで強要され、金額に不満そうで不愉快であった。
こちらでは家の庭にりんごの木がよく植えてある。日本でよく見る柿の木のようなものだろうか。果実は小さな緑色である。そのリンゴが垣根の外に張り出し、道に落ち、腐るままに放置されている。きれいなのを拾って食べてみたが、酸っぱくてまずかった。4−5回試みたが、1回だけ最後まで食べられた。
そういうことをするのは私だけかと思っていたが、かじりかけが道端に捨ててあるのを見て、他にも同じことをする人がいると納得した。ただし、市場で売っているリンゴは大きくて美味しいので、手入れと肥料の問題なのだろう。
途中にあと100kmと表示した道標があって、巡礼の人たちが記念撮影をしていた。私も写真を撮ってあげ、また撮ってもらった。昼食は途中の村を通過していたらドネーションがあり、それを利用した。有難い。ドネーションにも慣れてきた。
町に入る手前で山火事の跡を2カ所見た。最初野焼きかと思ったが、場所的にもそれはあり得ないだろう。規模も小さく、場所的にも変で、今年の夏の熱波で発生した火事の跡ではないだろうか。
その直後、町への下り坂でスリップしてバランスを失い、転んで左足の膝と、左腕の肘を擦りむき、血が滲んだ。ズボンとシャツも同じところが破れた。疲れから、とっさの対応ができなかったのであろう。痛かったが、歩くのには支障がなかったのは幸いであった。ただ、他にも人の目があって注目を浴び、恥ずかしかった。持っていた水で傷口を洗って応急処置をし、宿に着いてから手入れをした。シャツとズボンは洗濯をして破れを確認したら、繕えばどうにかなりそうだった。
ポルトマリンPortomarinの町は川向こうにあり、町に入るには、侵食で深くえぐられた川にかかっている長い橋を渡らなければならない。橋から川面まで距離があって高度感があり、下を覗くと恐怖を感じる。水量が少ないのは季節のためか、それとも上流にダムがあるのであろうか。
ポルトというからには、この町はかつては港として栄えたのであろう。巡礼たちが町の入り口で記念写真を撮っている。階段を上がったところに大きな”Portmarin”の文字看板がある。
早く到着したので町を散策したが、あっという間に見終わるほどの小さな町であった。この町は観光客相手の宿やレストランしか産業がないような町で、人口も1000人以下だろうか。とすれば、コロナで相当大きな被害を被ったのではないだろうか。
宿のアルベルゲはすぐそばにあって13€。きれいな建物で、我々の部屋には2段ベッドが二つあった。上段をあてがわれたのは、予約をしてなかったからだろう。下は気の良さそうなベルギー人で、彼もサリアからの出発組であろう。洗濯物を外の庭に干すことができ、風があったので夕方までには乾いた。
夕食は隣のスーパーで例の電子レンジで調理するアルヒージョ、そしてパンを買って、宿で食べた。至って質素である。
なぜ、こうなるかと言えば、こちらのレストランは基本的には二人で利用する。だから、どうしても独りでは入りづらいのだ。
終着点まで残りわずかになってきた。ゴールが近づいた喜びと、寂しさが入り混じった心境だ。本日の移動は、21.9km、42,055歩で、距離の割に歩数が多いのは、分岐で距離が長い方を選んだからだろう。ここでの距離は、最短距離で表示している。