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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ⑦
(7)「バスクの丘のザビエル城」
8/21(日)曇り、18℃
この日は巡礼を一時中断して、K先生とバスクにあるザビエル城を見学した。ザビエル城は巡礼路から外れているのだ。そこに行く適当なバスがなく、K先生がタクシーの手配をしてくれていた。パンプローナからは片道90€で、約1時間の距離にある。疲労が蓄積している身体にはいい休養となった。
ザビエルは、スペイン語ではハビエルJavierとなる。ザビエル城は緑が乏しい丘の上にあり、内部は展示資料館となっている。さすがに日本人が多いようで、日本語の音声ガイド付きで、入場料は一人5€。全体的にこじんまりとした城で、展示品の他、城内の施設やザビエルの生涯などが紹介されている。
フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier 、1506-1552)は、ナバラ王国の貴族の子で、彼はこの城で生まれ育った。彼は、パリ大学在学中に同じバスク人のイグナチオ・デ・ロヨラ(Ignacio López de Loyola、1491-1556)と共に、イエズス会を創設した。1549年に鹿児島に渡来してキリスト教を日本に伝えた。
彼は日本を離れて間もなく亡くなったので、その功績は、日本伝道の可能性を語り、その道筋を整えたことにある。 (『南蛮のみち1』街道をゆく22 、司馬遼太郎、朝日文庫、1988)
城の外には海のほとりに立つザビエルを描いた巨大な看板があった。
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日本から バスクの丘の ザビエル城
また、近くにイエズス会IHSの研修施設と思われる立派な建物があり、日曜日だったので礼拝堂ではミサが行われていた。
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なおバスクは、歴史的には海に面した北バスク、そしてここの南バスク、さらにピレネー山脈の東側のフランスバスクに分かれる。北バスクにはピカソの絵で有名になったゲルニカの町がある。
この南バスクは岩だらけの地形で、決して肥沃とは言い難く、せいぜい丈の短い草が生えている程度である。草が生い茂る日本の土地とは対照的である。犬養道子(1921-2017)の『人間の大地』(中央公論社、1983)によると、ヨーロッパの土地は氷河によって養分がある表土が削り取られたという。
宿に戻ってタクシーを降りると、ちょうどそこに自転車に乗った青年が近寄ってきて、「コンニチハ」と挨拶をした。日本語が話せるのかと尋ねると、2年前に日本に来たという。彼にとっても、久しぶりで使う日本語で、嬉しかったのではないだろうか。
また、近くにはザビエルに関連して山口公園がある。ザビエルは、パンプローナがあるナバーラ州の「守護聖人」である。そのザビエルは周防国山口に滞在して布教しており、その縁で、両市は1980年に姉妹都市となり、後に、山口市はここに造園技師を派遣して、日本庭園を寄贈した。手入れ不足の感は否めないが、確かに水を用いた日本庭園であった。
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K先生のたっての希望で、コインランドリーで洗濯をした。と言っても、全てそこにいる人に使い方を教えてもらったので、私たちはお金を入れるだけであったが。夕食は大きなピザを二人で分けて食べた。
ここでK先生の助言を受けて、大きな変更を行った。それは、パンプローナからブルゴスまで約220km(10日分)をカットしたことである。前半で、鉄道の駅と巡礼路とが合流するのはここだけであったので、決断を先延ばしすることはできなかった。そもそも、私の計画には予備日が2日ほどしかなく、これではコロナの感染やトラブルなどが生じた場合に対応する予備日が全く不足していた。
さらには巡礼が終わってからの観光や見物のための時間も取っていないという窮屈な日程であった。観光をするためには、頑張って歩いて日数を短縮するしかないが、実際3日間歩いてみて、それが簡単なことではないことがわかった。
最終的には、短縮しなくても歩けた可能性もないではないが、これで精神的にも肉体的にも楽になり、不安が解消されたことは間違いない。
(移動距離なし、12,704歩)