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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ⑤

(5)「ピレネーの麓を歩く」
8/19(金) 第2日、曇り後晴れ 
 朝、幸い雨は上がっていたが、まだ肌寒く、宿の人からの助言で、未だ半乾きの雨具をつけて宿を出た。有難いことに靴は乾いていた。昨日は外を見る余裕がなかったので、今日外に出ると、ここが大きな修道院であることがわかった。そばには、「サンチャゴ教会」という名の古い小さな会堂があった。巡礼たちはここで短い祈りを捧げて、サンチャゴ・デ・コンポステーラまで790kmの道をスタートして行ったのであろう。

あと790km!!

 気持ちの良い森の中を進むと30分ほどでレストランがあった。雨具を脱ぎ、最初に尋ねたのは、カード使用の可否であった。食事は食パン、オレンジジュース、コーヒーで、5.70€。

 晴れ間も出てきて、この天気が1日違いであったら!と悔やまれる。本日の行程は、町あり、森ありと変化に富んでいて楽しく、昨日とは大違いである。道の両側には童話の絵本に出てくるような可愛らしい家が並び、壁には花が飾られている。スペインで見た家は概して小ぶりである。

花が家の壁を飾っている

 この町に、『日はまた昇る』(1926)、『武器よさらば』(1929)、『誰がために鐘は鳴る』(1940)などを書いた米国の作家A.ヘミングウェイ(1899-1961)が滞在して、マス釣りをしたという。また、彼はスペイン内戦(1936-39)で義勇軍に参加した。この戦いは、ドイツのヒトラーと結んだファシズムのフランコ将軍に対して、民主主義を守る戦いで、世界中から多くの知識人が「国際旅団」に参加して戦った。この時、日本人が1名参加して戦死している。
 今、戦闘が行われているウクライナでも、世界中から大勢の義勇兵が参加して戦っている。

 牧場(まきば)からカランカランと鈴の音が風に乗って流れてくる。森の中はゆっくりしたアップダウンが連続し、自動車道路に出会うと、そこを突っ切って、また森の中に入る。皆さん結構健脚ぶりである。

羊がいる野原で

 緩やかな坂道を登ると峠に出るが、ブナの林を下るとエスピナルという小さな村に出る。しかし、すぐに再び坂を登って、次の峠に出る。汗が額を流れ、バンダナでハチマキをする。

 この日は、父はカナダ在住、娘は京都の大学に在学の日本人親子と知り合い、いろいろなことを話した。何より日本語が使えるのが嬉しかった。普段は離れて生活している父と娘の絆を固める旅なのであろうか?それにしても、40日近くも、娘がよく承諾したものだと思った。彼らとは前後しながら歩いた。

 道は古い地層にマグマが貫入してできた硬い岩の層が突出していて、これが縦横に走っているので歩きにくい。薄く剥がれるように割れるので建築資材として利用されているのではないかと想像したが、案の定、麓の家や塀にはこれが使われていた。

石材が家や塀に使われている

 昼ごろに、家からの電話を山の中で受信した。家では私と連絡が途絶えており、おかしいと大騒ぎになっていたようで、事情を説明した。今回の旅ではWiFiのルーター(レンタル)を持ってきていたが、それが不具合を起こし、と言うより、私のスマホの設定がまずく、ここ数日連絡が途絶えていたのだ。使い方に慣れていなかったことが原因である。

 石造りのアーチ式の橋を渡って、スビリZubiriの町に入って、2日目の行動が終了した。小さな町であったが、ここのアルベルゲはカードが使えてホッとした(食事込みで32.5€)。

この橋を渡って町に入る

 宿のFree WiFiを利用して、家への連絡を試みていると、ルーターの機能が回復し、問題は解消した。ただ、この問題は最後まで続くことになった。

 先の日本人親子も遅れて同じ宿に到着。日射しが暖かく、庭に洗濯物を干してから、筋肉痛の足を引きずりながら小さな町の散策を楽しんだ。

スビリのアルベルゲの前

 食事は食堂で宿の客と一緒に食べる方式で、ポテトのスープ、そして魚(肉)を食べた。久しぶりにまともな夕食を堪能した。

 明日はパンプローナに入るので、そこで現金を下ろすことができる。
(21.5km、40,267歩、6時間30分)

「スペインの野山を巡る巡礼路 帆立の貝に導かれ行く」
「影法師 同行二人の 巡礼路」

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