Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ④
(4)「風雨のピレネー越え」
8/18(木) 巡礼第1日、終日の雨
夜中にトイレに行った時、外を見ると弱い雨が降っていたが、朝になってもまだ止んでいなかった。第1日目から雨具をつけての行動は嫌だったが仕方がない。まだ寝ている人も多くいたので、静かに準備をして外に出た。気温を見たら10℃であるが、動き始めたら暖かくなるので、その点は心配しなかった。
まだ暗い町を抜け、住宅街を抜ける頃には少し明るくなった。帆立貝の印が道標(みちしるべ)で、これがサンチャゴ・デ・コンポステーラまで巡礼を導いてくれる。
なだらかな傾斜を登って行くと、牧場(まきば)が広がって、牛が放牧されている。ピレネー山脈を越えてスペインに入るこの道は、「ナポレオン・ルート」と呼ばれる。1807年に、皇帝ナポレオンがスペイン遠征した時の道である。歴史の教員としては、ナポレオンが見た風景を見逃すことはできない。
やがて、オリソンOrissonのアルベルゲを通過する。
羊ならぬ豚の放し飼いを横目に見ながら、ガス(山岳用語で霧のこと)の中を行く。左に分岐があったので、舗装道路から分かれ、途中の木陰でしばらく休憩して、昨日の残りのパンを食べた。そこから直登すると再び元の道に合流した。
さらに高度が上がるに連れて樹木が減り、やがて森林限界を突破すると、ガスと雨、強風が直接身体に吹き付けてきた。うんざりしていたら、「地獄にホトケ」のタイミングでキッチンカーの販売があり、ホットチョコレートを注文した。熱いものが冷えた身体全体に快くめぐった。コップを持った両手がブルブルと震えて止まらない。見ると、他の人も同じだ。私の山行の歴史の中でも記憶に残る過酷なものであった。この辺りから写真が全く撮れていないのが残念だが、それどころではなかった。
2022年の夏のヨーロッパは温暖化の影響で記録的な猛暑であった。熱波によって多数の死者が出て、山火事も各地で頻発していたので、暑さ対策に注意が偏っていた。それでも、私の装備は他の人に比べるとはるかに整っており、靴は防水で、フードが付いたコート状の全身を覆う雨具の他、レインハットを被り、さらに傘をさしていたのは私だけではなかろうか。他の人たちはほとんどがポンチョだけで、小雨ならいいが、このような状態では風に煽られ雨具の体をなしていない。ただし、私もザックカバーは持ってきたものの、点検ミスであまり役に立たなかったのだが。
ピークの峠がなかなか見えず、ひたすら風雨の中を黙々と歩く。ガイドブックには「牧歌的な風景に心も和む」(『聖地サンチャゴ巡礼』NPO法人 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会、2013)などと書いてあるが、風景を楽しむどころではない。風雨を遮るものがないので、休むことも、昼食も取れない。一刻でも早くこの状態から抜け出したいという想いだけで歩いた。道が険しくなかったことだけが幸いであった。
これが日本であれば、避難小屋や休憩場所が設置してあるのに・・・などと恨めしく思った。巡礼が始まった10世紀頃の状態をできるだけ残そうとでもしているのだろうか。安全も安心も、全てが自己責任に委ねられているのだ。愚痴を言うのであれば、来なければいいだけの話である。それは、2019年のカナダでのユーコン川下りで得た教訓であった。ユーコンには注意書きや案内の看板の一枚すらなかった(note記事「ユーコンを流れる」2019 参照)。
舗装道路から離れて草地の道に入った。水たまりができていて、靴の中に浸水した。先行していた女性がこちらを振り向いて、私が来るのを待っている。どうも、この道でいいのかと確認しているようだが、私も分からない。こういう場合は、それらしくない方に少し行って様子を見るというのが、私の流儀である。しばらく行くと、上の方に道標が見えた。やはり上の道が正解で、後ろからついて来た女性にもその旨を合図して、斜面をトラバースした。
2011年公開の映画『星の巡礼者たち』(“The Way”)では、SJPから巡礼をはじめた主人公の息子が、荒天のピレネー越えで遭難して亡くなるところから映画は始まる。周囲が広い場所でガスに巻かれた場合、ルートファインディングが難しく、注意しないと道を外してしまう。これには相当の経験が必要である。実際、遭難者も多いようだ。
なお、後で分かったことであるが、この天気では、ピレネー越えの旧道ではなく、高度が低い新道を行くべきであったかも知れない。しかし、私の場合どうしても「ナポレオン・ルート」を通りたかったし、ピレネーを越えたかった。初心者の人であれば、オリソンまで戻って、翌日挑戦するという選択肢もある。
ドロドロの道が平坦になり、ガスの中から避難小屋が現れた。小屋などないものと諦めていたので、ホッとした。中に入ると多くの人が避難しており、火がおこされ温かいのが嬉しかった。メガネが真っ白に曇り、誰の身体からも湯気が立ち上っている。犬の体を摩って温めている人がいた。ただ、ここに長くいると外に出たくなくなるので、「長居は禁物」で、5分くらいでまた寒風の外に出た。
スペイン側に入ると(多分?)道はゆるい下りとなり、森も現れ、吹き曝しの状態は解消されたが、下から吹き上げてくる風が冷たい。「ローランの泉」と呼ばれる水汲み場を通過した。こんな天気でなければ、ここで休憩というところだ。
野生のベリーを見つけたので、手を伸ばして取ろうとした時である。右足の筋肉が痙攣(けいれん)を起こして苦痛で動けなくなり、思わず「ウッ」と呻いた。近くにいた先ほどの女性から、“Are you OK?”と声をかけられた。“OK”とは答えたものの、しばらく痛さで動けなかった。じっとしていると治ったので、ゆっくりと歩き出した。寒さと疲労が原因であることは明らかだ。こういう時には、いつもなら常備している温かい紅茶がないのが残念である。
道は道標がしっかりしているので、間違えることはない。時々人が追い抜いていくが、ほとんどひとりである。途中から先ほどの女性に追いつき、その前を案内するように歩いた。彼女はダウンを着ていたが、ダウンは防水ではないので、おそらく下に着ているものも濡れて寒いのではないだろうか。誰もが過酷な状態を耐えて歩いている。女性が追いついてくるのを待ちながら、道端で摘んだきいちごの甘酢っぱさが口に広がって、いい気分転換になった。この辺りは、8世紀後半、シャルルマーニュ(仏のカール大帝)がスペイン遠征の際に、バスク人の攻撃を受けて、騎士ローランが戦死した伝説の場所である。
高度を下げると、やがてロンセスバージェスRoncesvallesに入り、3時過ぎに修道会が経営するアルベルゲに到着した。山の中から、いきなり立派な大きな建物が目の前に現れた。温かいところに入ってホッとしたのも束の間で、この宿ではクレジットカードが使えなかった。持ち合わせの現金が少なかったので、宿泊(14€)だけとなった。このやりとりを見ていた女性スタッフが、外にレストランがあるが、そこもカードが使えないと教えてくれた。そこで、夕食は残っていたパンでどうにか凌いだ。十分な量ではないが、仕方がない。宿泊できただけでも「良し」としなければならない。
それでも、熱いシャワーを浴びると体力も回復した。これで最初の難関は突破した。後は、泥で汚れた衣服を洗い、乾かして、眠るだけだ。今日のピレネー越えは、これから辿る巡礼の旅の厳しさを暗示しているように思えた。
この日の移動距離は25km、47,380歩、行動時間は8時間30分であった。私の山行では通常の行動である。