Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉗
(27)「タコを食べる」
9/10(土)晴れ、14℃
ゴールが近くなり、少し早めの6:40に宿を出る。外は真っ暗であるが、街灯が照らす人通りがない道を一人で歩く。
道端にまるでお地蔵様のようなサンチャゴの石像があった。これも巡礼への道標であろう。
途中の町フレーロスFurelosの入り口には、アーチ式の立派な石造りの橋があった。その脇に、これも石造りの小さな教会堂があり、短く祈った。旅も最終段階に来ている。
メリデMelideの市街にはタコ料理を売り物にしたレストランがあって、店頭でデモンストレーションをしている。ガリシアは海が近いので、魚介類が豊富なのだ。
日本を思い出して見ていると、どこから来たのかと尋ねるので、「日本」(ハポン)と答えると、「タコ」「タコ」「タコ」と叫び出した。日本人と「タコ」が結びついているようだ。味見をさせられた挙げ句、店に入らざるを得なくなった。オリーブオイルの味付けで最初は美味しかったが、脂っこいのがしつこかった。私にはあっさりした「きゅうりと酢だこのなます」の方がいい。ちょうど昼頃でもあり、巡礼たちが続々と入って来て、店は大盛況であった。
昼前から左足がいたくなり、びっこを引くようになった。それがどんどんひどくなって、アルスーアAruzuaへの長い上り坂は喘ぐように歩き、実に辛かった。何回か途中で立ち止まり休まざるを得なかった。距離も昨日よりは長くて、これまでの疲労と重なって、それが足に来ているのは確実だ。明日、無事に歩けることを祈った。
これまでの苦行と困難を強いているのは、自分自身の意思である。誰かに強いられているのではなく、それは自由であるが故に尊く、誰にも奪うことができないものだ。それが無くなると、自分が自分でなくなる、そういうものだ。そのためにお金と時間をかける。何と贅沢な行為であろうか。「物見遊山」とは違う、こういう旅もあっていい。
また「単独行」には、「ひとり旅」というだけでなく、「行(ぎょう)」という意味合いも含まれているようだ。それは、群れから離れて、「個」を再発見する旅であり、自分と対話する旅である。日本には、院政期の西行(1118-1190)や、江戸初期の芭蕉(1644-1694)ら漂泊者の伝統がある。それに対して、欧米系の人たちは、ほとんどがグループ旅で賑やかである。
「単独行 旅の労苦と楽しさを
分かつ人なき孤独かな」
足にできた「マメ」の写真を以前、家族に送った時、それを見た子供たちは私がきっと途中で旅を断念して、日本に帰ってくると思ったという。しかし、その時の私にはそういう考えは全く思い浮かばなかった(航空便の予約の問題もあるが)。
「異(とつ)国で 愚痴も言わずに 巡礼す」
今日の宿は12€で、洗濯物を干す場所がないことを除けば、非常に快適で、昨日とは大違いである。アルベルゲといっても様々である。きれいな大きな空間に、私の他はオーストリア人女性2人だけであった。「オーストラリア」とよく間違われると言うので、「モーツアルト」の名前を出すと、そうだと肯いた。
宿の前には、「四国八十八ヶ所」の、2020年3月30日建立の友好記念碑があった。これで2回目である。しかし、2020年3月といえばコロナのパンデミックが世界中に広がった時であり、どうしてこういうことができたのだろうか?「八十八ヶ所」は外国人にも知られているようで、前に会ったフランス人も歩きたいと言っていた。
夕食は宿から薦められた、宿の前にある高級な感じのレストランに行った。食事は20€と高めであった。ここまで頑張って歩いたので奮発した。
感心したのは、店がまだ準備中に顔を出したが、しばらくかかりそうなので他の店を見てみようと思い、町中を歩いて戻ったら、給仕係の男性がちゃんと私の顔を覚えていて、席を確保してくれていたことだった。既に、他の席は満席で、私の分だけが空いていた。「さすがだ」と思った。
スープはPoioで食べた同じ塩味のガリシア風野菜スープで、大きな器にたっぷり入っており、何杯もおかわりができた。
次は、ラム肉に黄色く色づけされたじゃがいもが添えられ、見た目にも美しく、味も良かった。
なお、飲み物は水Aguaを頼んだら、コップではなくペットボトルで出てきたのは意外であった。ネットで検索すると、大勢の人がこの店を褒めていた。
(29km、51,330歩)