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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ㉙

(29)「ミサ」

 9/12(月)にわか雨
 巡礼最後の日になった。本日は大聖堂で行われるミサへの出席が主な目的である。
 2人組の韓国人学生との約束は11:30であったので、その間にマドリードまでの列車の切符を買おうと思って、宿から「Google マップ」を使ってRENFEの駅まで歩き出した。しかし、思った以上に遠く、待ち合わせの時間が心配になり、途中で断念して引き返した。

 昨日、往復した道を再び戻り、大聖堂前の広場で彼らに合流した。もう一人若者がいた。ザックと杖は中に持ち込めないと注意を受け、前の店に預けた。

 ミサは12時から大聖堂の横にある会堂で行われた。ザックの件で入場が遅れたので、席は既にいっぱいで座ることができなかった。

人でいっぱいの会堂

 このミサは、サンチャゴ・デ・コンポステーラに到着した巡礼たちを歓迎するためのものである。ただ、周りを見ると観光客の方が多いようだ。内容は全くわからない。聖餐があったので、カトリック教徒のP君は前の方に出て行った。

献金があって、これで終わりかと思っていたら、有名な「香炉振り」(ボタフメイロ)が始まった。

 天井から紐で吊るされた大きな香炉がブランコのように大きな振幅で左右に振られ、そこから煙のようなものが出ている。次には上下にも振られた。7-8人の少年が綱を引っ張って操作しており、手慣れている。
この儀式は、到着した巡礼の汗臭い匂いを消すために始まったもののようだ。コロナでしばらく中止されていた(K先生の時にはなかった)が、今日から再開されたという。

中央の下に写っている修道女が小さく見える

終わってから、地下にあるサンチャゴの遺体を納めた棺を見学した。

サンチャゴの棺

 その後、近くのレストランで巡礼用の昼食16€を食べた。そして、P・I君たちとはここで別れた。彼らは明日パリに向かい、しばらく滞在してから日本へ帰るという。彼らにはずいぶんと助けられ、旅の同行を感謝した。

レストランのメニュー

 その後、昨日断られたアルベルゲのひとつに投宿できた。昨日のオステルより設備は良くないのに23€と高い。
昼食の時間も遅かったし、ボリュームもあったので、夕食は宿にあったバナナ一本で済ませた。明日向かうマドリードでの宿を、Booking.comで2泊予約した。ここからは、これまでとは違い、宿は全て事前予約である。

 ロビーで、日本へのメールの返事を出していたら、スペイン人の中年男性が寄って来た。「日本人か」と聞いたので、Google 翻訳を使って話をした。「日本は素晴らしい」、「スペインはダメだ」と、やたら日本を褒め始めた。スペインの若者は目先のことにしか関心がない、また保守的だとも。それに対して、日本は独裁国家(?)で、テクノロジーも進んでいるという。

「カミーノ の星」というビールをご馳走になった

 彼の主張には今の政権への批判があるようで、強力なリーダーが主導する政治体制への願望が感じられた。フランコの時代を懐かしんでいるのであろうか?しかし、彼が言うような若者像は、世界中どこにでも見られる現象ではないだろうか。

この後、マドリードの次に行ったグラナダでは、大勢の警官たちが取り囲む中で、学生たちが政府を批判する集会を開き、大声でシュプレヒコールを繰り返している場面に出会った。最近の日本では見ない光景だったので、しばらく傍観した。それは先ほどの男性が危惧する若者たちとは違っていたが、同様に、それを見ていた中年男性が学生らを「虫けら」と批判していたのが印象に残った。

 宿のスタッフから、夜に大聖堂の近くでライトアップを見るようにと勧められた。足も痛く、小雨が降っており、片道30分ほどかかるので、あまり気が進まなかったが、親切に勧めてくれたので行ってみたが、がっかりした。

夜の大聖堂

 こちらの人のサービス精神には感心するが、空振りが多い(この点に関してはいずれ後述する)。ただ、広場で学生たちが中世風の衣装を着て行う古楽器の演奏(トゥナ)が見られてよかった。
 なお、この宿からサンチャゴ・デ・コンポステーラ駅まで、徒歩で20-30分の距離であった。この宿にしたのは大正解であった。
(移動距離なし、25,016歩)


なお、宿からサンチャゴ・デ・コンポステーラ駅まで、徒歩で20-30分の距離であった。この宿にしたのは大正解であった。  (移動距離なし、25,016歩)




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