紙の心臓【ショートショート】
嫌なことは紙に書いてから寝る。そうすると、朝にはきれいさっぱりにとはいかなくても、気持ちが軽くなっていて、なんだかすっきりする気がする。これが幼い頃からの私の習慣だった。
美大時代、初めは絵を描いていた。スケッチブックにカメラやレモンや目玉焼きの絵を描いたり、動物園に行って孔雀のデッサンをしたり、友達を描いたり、花を描いたり、思いつくまま描いていた。
平面では飽き足らず彫塑を専攻してからは、紙に絵を描くよりも粘土を捏ねて削って貼り付けてと、土と向かい合うことに夢中になった。
しばらくして、またスケッチブックを開くようになった。スケッチブックは絵よりも、英語の文字でいっぱいになった。
昼間は彫塑と向き合い、眠る前は英語の文字を綴る私は、何かに夢中になっていないとバランスを崩してしまいそうだった。誰よりも良いものを作りたいという欲が芸術には悪く作用する。もがけばもがくほど深い穴に嵌っていく蟻地獄のようで、底なし沼の生き地獄だった。
そんな時だった。みんなの前で、私の作る作品は魂が抜けている、教授にそう言われたのは。これだけ魂を込めて作っているのに、なぜ抜けていると言われるのか。
家に帰ると、それまで張りつめていたものが弾けるように、気がつけば紙を破いていた。何冊にもなっていたスケッチブックを一枚一枚細かく縦に破いていく。そうすると自然に気持ちが落ち着く。ビリビリ、びりびりという紙の音。指先が感じる紙の破ける感触。頬を伝う涙。久しぶりに癒される気がした。私が秘密にしていたことはもう全部、破いてしまおう。書いても書いても私はちっとも幸せになれなかった。そんな思いは捨ててしまおう。
透明のゴミ袋が紙くずでいっぱいになっても、私は紙を破ることをやめられない。空が白み、ゴミ袋の隣で眠っていたことに気づく。
大学に車で行く友達を電話で起こし、ゴミ袋をいっぱい詰め込み、実習室に運び込む。
「こんないっぱいのゴミ、どうするん?」と聞く友達に
「ありがとうね、今度ランチ奢るから、また後で言うわ」と別れを告げる。
ゴミ袋の中の紙に糊を付け、酷評された彫塑の作品に貼っていく。英語の文字が切れ切れで、表も裏も無茶苦茶になった紙くずたち。その紙を一枚一枚取り出して丁寧に貼っていく。
酷評された作品は、心臓をイメージして作ったものだった。魂が抜けた心臓に魂が宿っていく。初めてキャンパスで出会った時から、親よりも年上の教授は私の憧れだった。毎晩スマホを片手に翻訳して書いていたのは、友達にも話せないような転んでも叶わぬ恋への鬱憤だった。日本語で書くと自分で自分が嫌になると思い、自分でも読み返せないように英語で書いていたのだ。
『紙の心臓』
その作品は、有名な賞を受賞し私の代表作になった。その後も彫塑と紙の作品は増え続け、そしてその心臓に書かれた文字の本当の意味を知らない教授は今、私の伴侶となって隣でコーヒーを飲んでいる。
(1200文字)