見出し画像

刺繍をはじめ、哲学で終える。

サムネイルの下手くそな画像、あれが私の記念すべき第1作(まだ出来上がってないけど)です。

刺繍は希死念慮や無力感からわたしを解き放ってくれます。

何ていうのだろう、「糸を針に巻く」系が苦手です。バリオンステッチと言うのでしょうか?フレンチノットステッチすら満足にできない有様ですから、youtubeでも見て勉強しようと思います。何をどうやっても自力では糸が綺麗に巻けません…( ;  ; )

母がパッチワーク上手でして、母を越すなんてのは到底無理でしょうが、いずれ洋服をアレンジしてみたいのです。刺繍でイヤリングも作ってみたいし。イヤリングは夢広がります!ビーズやボタンとの相性もよかろう。

自室にひとりじゃ満たされなくて、基本的には誰かと電話しながらとか、カフェでひとりでとか、そういうポーズで刺しています。

余談からがはじまり

余談ですが、自室にひとりだと刺繍しようが何しようが希死念慮的なものが込み上げてきてしまうんですよね。ひとりだと何をやっても無意味に感じる。他人となら何でも意味を感じる。憂鬱さ以外の感情を、共感覚を通さずには味わえないのかもしれません。あるいは、自意識が過剰過ぎて他人というノイズを摂取しないことには思考ができないのかも。

人間の思考って不思議ですよね。メリハリをつけろというけれど、あまりにもメリハリをつけるべきタイミングが多過ぎやしませんか?

平日は働いて土日の二日間は休養する、このメリハリもすぐにはつかないんですよ、私の場合。平日の17:00まではサイバーセキュリティのことを考えていて、それ以降はお夕飯やお洗濯のこと、お友達のことを考える。それで、日によっては明日のことを考えて寝る。どういうことですか?目まぐるし過ぎて意味がわからないと思いませんか。

それで、休日になったらおいしいものや綺麗な景色や刺繍のことを考える。泳ぐ。車を運転する。そしてまた平日に戻っていく。

そういう目まぐるしさがおそろしくて、というか情報量が多すぎて受け止めきれず、家事もろくろく出来ないので自分に趣味なんてものを設けるのはしばらく止めにしていたんですよね。

でも、いつだって同じモードで、メリもハリも考えなくていい、そういうものは意外と自動的に進むんだから…与えられたものを無思考のままやって、与えられないうちはようやく腰をあげて何かを選ぶ。そういう風にしようと思ったら、オートメーションの一つとして刺繍を趣味にするという選択肢が見えてきました。

計画性というのは私の人生にとって信じ難いものであり、であるならば計画的にやらなくても普通に生きていけるように人生を囲っていけばいいんだということです。楽しいことも楽しくないものもおいしいものも不味いものも全部行き当たるようにしておけば、とりあえず迷子にはならずに済む。

人生がいかに判断多きものであるかは皆さんもよくご存知のことと思うけれど、それが快か不快かは本当に人それぞれらしく、(全然信じられないことなんだけど)

私にとっては不快なので、せめて刺繍を趣味と言い張ってみることで、余暇がちゃあんと余暇になるように仕向けることができて幸せです。

最後は(人生)哲学になりました。これがやめられない内は、やっぱりまだまだ私の人生自由度が高いんだなと実感しますね。やれやれ。セカンドライフ(ゲーム)みたいだ。

皆さんはどうですか?自由を楽しめるタイプ?それとも私と一緒で線をきれいに描いていきたいタイプ?ああ、刺繍ってそういうもんですよね。

榊原でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?