ゲーム開発は独裁であれ
こんにちは! かにまろです。
先日、Xでこんなポストを見かけました。
私は「お、そうだな!」と思いました。全面的に賛成です。ゲーム開発においては、下手に民主化するよりは独裁のほうがはるかにマシだと思います。
うまく行っている例を見たことがない
私のゲームプランナー人生はまだそう長くはありませんが、
ディレクターが
「これが面白いと思う!これを作れ!」
と言えるプロジェクトほどうまく行っているように感じます。
一方、「みんなで面白いものを作ろう」というスタンスで、プランナーがアレコレ相談して企画書を書いているプロジェクトほど、
進捗が遅い→予算増大→社内稟議が通らない→完成しない
なんてことになりがちな印象です。
ゲームプランナーをまとめる力
ゲームは面白ければよい。では、"面白い"とは何か?
何を面白いと感じるかは人によって違います。志を同じくしているゲームプランナーでも、年齢も性別も趣味趣向も違います。当然、面白いと感じるものも千差万別です。ユーザーペルソナを定めて、ユーザーが面白いと感じるであろうゲームを作ろうとしても、プランナー個人の好みが混じることは否定できません。
その状態で、民主主義的なプロジェクト運営……いわゆる多数決をしたところで、まとまりませんし、個性が抜けていってしまいます。
いろんな人が思う面白いゲームの要素を少しずつ取り入れて、いろんな人が思うつまらない要素を削っていくわけですから、ゲームはどんどん角が取れて丸くなっていきます。
極端な話、
死にゲーを作っているのに、アクションゲームが苦手な人の意見を採用して難易度を下げたり、
ゲームが苦手なライトユーザーをターゲットにしているのに、コアなゲームが好きな人の意見を聞いて中途半端にゲーム性を足したり。
結果的に、誰に向けたゲームなのかよくわからない、中途半端に万人を意識したゲームが出来上がってしまいます。
広く意見を聞くのは大切ですが、それを採用するかは別。
目指すゲームの姿と面白さの基準を示し、それに沿って意見を取捨選択してくれる独裁者が、ゲーム制作プロジェクトには欠かせないのではないでしょうか。
会社に立ち向かう力
ゲームの面白さに意見するのは、ゲームプランナーだけではありません。社長や役員といった殿上人も、ゲームに対して意見してきます。ゲームプランナーよりもさらに発言力を持った、絶対的な声です。
ただ、厄介なことに殿上人がいつも正しいとは限りません。
時にディレクターやプロデューサーには、殿上人の意見を現場に伝える預言者ではなく、殿上人に真っ向から立ち向かい「これが面白いんだ!」説得する役割も求められます。
一方、個人的な印象ですが、民主主義的なプロジェクトのリーダーほど殿上人の意見をなんでも聞く人が多いように感じます。
民主的なプロジェクトのリーダーが「みんなの意見を取り入れたい優しい性格」だからなのか、それとも「自分ではないプランナーの意見をうまく伝えられない」からなのか……。あるいはその両方か……。
いずれにせよ、
プロジェクトの方針を定め、その通りに運営できる
プロジェクトの方針を会社と握り、必要に応じて"政治"ができる
そんなリーダーには、みんなの意見をまとめる議長的な人よりも、圧倒的に自分のやりたいことがハッキリしている独裁者のほうが向いているように感じます。
リーダーに力がないプロジェクトはどうなるか
ゲームプランナーをまとめる力、会社に立ち向かう力を持たないリーダーのプロジェクトはどうなるか……。
あくまで私の観測範囲内の話になりますが、完成した例を見たことがありません。
時間がかかる
プランナーが仕様を切ったとき、
独裁者のプロジェクトなら、独裁者の承認さえもらえば事はそれで済みます。独裁者のお墨付きという後ろ盾を得て、後は関係各所と調整していけば終わりです。
一方、独裁者がいないプロジェクトだと、仕様はプランナー全員で回覧して、全員または発言力の強いプランナー数名の承認をもらう必要がある場合が多いかと思います。スムーズにいったとしても独裁者一人を説得するより時間がかかりますし、プランナー同士の意見が割れる場合もあります。
根回しをして、会議を設定して、承認をもらって……。
OKっぽい雰囲気であれば進めて、問題が生じたらまた話し合って……。
こうして、ありとあらゆる意思決定に時間がかかっていきます。
お金がかかる
時間がかかるということは、その分開発期間が延びてコストもかかるということ。
会議が嵩めば作業時間が減り、作業者を増やすために人を入れればその分の人件費と管理コストが増し、開発費の増大につながります。
会社を説得できない
ただでさえ開発費が増え、会社がプロジェクトに対して厳しい目を向けている中、リーダーは会社に、ゲームがいかに面白くて売れるかを説明しなくてはなりません。
前述の通り、民主的なプロセスで制作されたゲームは丸くなりがちですし、議長的なリーダーは得てしてプランナーの意見を上に伝えきれない場合や殿上人に振り回されてしまう場合が多い。
何がしたいゲームなのかわからない。売れるのかどうかもわからないのに、やたらお金ばかりかかるプロジェクトに対して、GOを出すほど会社は寛大ではありません。
プロジェクト打ち切り。
民主主義的なプロジェクトは、そんな結果に終わることばかりのような気がします。
独裁者も間違う
もちろん、独裁者が必ず正しい判断を下せるわけではありません。
殿上人が間違うこともあるように、独裁者も間違うことはあります。朝令暮改な独裁者、そもそもセンスがなく言っていることがハチャメチャな独裁者もいないではありません。
幸い、私はこういった無能な独裁者の例をあまり知らずに生きてきました。こういった独裁者とそのプロジェクトの末路については詳しくありません。
独裁者が無能なときは、独裁者交代か、独裁者と心中するか……。会社も早く立て直しを図りたいでしょうし、早々に独裁者交代がなされる場合が多いかと思います🤔
一方、民主的なプロジェクトは、無能な独裁者に比べて癌の場所がわかりづらい上に、後から有能な独裁者が来ても「自分の意見が通りにくくなった」ことにメンバーが反発して、うまく行かないケースが多い印象です。
どの状態がマシで、かつ立て直しがしやすいか。
体感ですが、
有能な独裁政権>無能な独裁政権≧民主政権
……と、こんな具合ではないでしょうか。
結論
独裁者のほうが、意思決定が早く開発が円滑に進みやすく、結果的に開発費を抑えられる。
独裁者のほうが、会社側との調整がうまく行きやすい。
民主政権は、ゲームの面白さや個性を損なう場合がある。
ゲーム開発は、民主政権よりも独裁政権のほうが良い。
私の結論は以上です。
有能な独裁者がリーダーであってほしい
あくまでYouTubeチャンネルを観た限りでの感想ですが、桜井政博さんは有能な独裁者のように感じます。
あらゆる成果物に対して直接意見する、強権的な意思決定者。一方で、日報や成果報告会を用いてメンバーのモチベーション管理も徹底している。
そんなリーダーがいるプロジェクトのメンバーは、さぞ働きやすかろうと思います。
彼のような人の下で働きたい。そして、いつか自分がリーダーになることがあれば、彼のようでありたい。そう思います。