息を吐く(24.7.19)
今日の金曜ロードショーはリメンバー・ミー。
私はディズニー映画が結構好きで、もっと言うとピクサーやドリームワークスなどの3DCGアニメが好きだ。
リメンバー・ミーは音楽が本当に素敵。キャラクターも魅力的だし、悪役が最後まで悪役なのもいい。
そしてめちゃくちゃ泣いてしまう。ここ最近は子供が頑張ってるだけで泣けてきたり、辛くて観るのをやめてしてしまうくらいには涙腺が脆くなっている。
リメンバー・ミーのすごいな…と思ったところは、死後の世界でミゲルとヘクターがチチャロンという既に他界している老人のところへギターを借りに行くあたりの出来事。
死後の世界は、生きてる人々の記憶から消えてしまうと死後の世界からも消えてしまうという掟がある。
チチャロンの身体が透け、チチャロンを覚えていた唯一の人間が忘れかけていることを知り、「最期におまえの演奏を聴かせろ」とヘクターにギターを貸す。
聴き終えた直後、安堵の表情で死者の世界から消えてしまう、というシーン。
そこで消える時、息をフゥーー……と吐いて消えていくんだけど、ここがとても印象に残っている。
昔からの友達の演奏が聴けて満足で。覚悟を決めて。魂が抜け出て。そんないくつかの意味のこもった一息だったように見えた。
人が忘れ去られて死んでしまう描写としてなんて美しいんだろうと思った。
ONE PIECEの好きな話のひとつ、Dr.ヒルルクの最期のシーンを思い出す。
人はいつ死ぬか、人に忘れられた時だ。と話し、我が子のように愛したチョッパーが誤って食べさせた毒キノコを死因にさせないよう(毒キノコと分かっていながら食べて元気になった!ありがとよ!と笑いかけるのもまた泣ける)自ら別の方法で命を絶ち、「いい人生だった」と笑ってこの世を去る。
誰かの言葉が刺さることは普段ないが、チチャロンのシーンやヒルルクの言葉はすごく刺さった。
確かに忘れられていたら、いないも同然だから。それは死と変わらないと。
自分も大事な家族や友達を忘れたくないし、誰か一人でも自分を覚えててくれたらなと思った。
何度も観てる作品だけど久々だしリアタイしようかな。また明日。