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今日も「坊やヘアー」で生きる
世の中の多くの男性が、髪にワックスを付けて立たせたり、前髪を分けておでこを出したヘアースタイルをしている
一方で、いつまでも小学生のような、いわゆる「坊や」みたいな髪型をして生きている人たちがわずかながらいる
一般的に男性は、早い人だとおそらく中学生くらいでワックスをつけ髪型をつくり始める
この時点で「坊や」と「坊やでない」人間の割合は7:3ぐらいだろう
まだ前者の数のほうが多い。
しかし高校生、大学生、社会人になるにつれそのの比率は減っていき、20代後半にもなると「坊や」は絶滅危惧種的な存在になっている
「坊や」の定義としてマッシュルームカットなどの意図的のある髪型はあてはまらない
ここで問題としているのは、髪型のことなど何も考えず、普通にテレビを見たりご飯とか食べて生活をしていたら、加齢とともに「坊や」のままとりのこされていた存在についての話だ
「坊や」ある種のイノセントな存在であり、選ばれし者にしかなることができない
「坊や」になるためには世界への鈍感さが必要だ
周囲がワックスをつけて髪型を作り始めていることに気づいてはいけない
気づいてあえて坊やを選択した時点で作為性が生まれる。それは「坊や」ではない
また、自分の見た目を演出したいという欲望が存在してはいけない
これは想像以上に難しく「外面的に他人によく見られたい」「モテたい」というような世俗的な欲望を喪失している必要がある
されに遺伝子的な「薄毛」の問題も回避しなくてはいけない。薄毛になった時点で、それは強制的に年相応の大人として成熟することである
「坊や」になるのはきわめて難しい
個人の内面的な資質と、あらがうことのできない遺伝的な運命の両者を合致させたまま、20代、30代を世界に対して目を閉じた状態で通過することによって、人はじめて坊やとして転生することができる
坊やは坊やとして選ばれている
しかし坊やはそのことに気づかずに今日もご飯を食べたり仕事をしたりして、普通に過ごしたまま生を終える
しかしそこに坊やの聖性があり、新しい世界への希望があるのだ