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番外編の街「銀座」|終わりゆく時代に、カメラを向けたくなった
昨年書いた記事が下書きにあった。
そのまま出していい気がしたので掲載してみる。
西陽の銀座
令和4年5月29日。
まだ5月だというのに、数時間外にいればこんがり肌が焼けそうな暑い日だった。
丸の内のFUJIFILM Imaging Plazaに、借りていたレンズを返却しに訪れたのが夕方の4時。少し時間ができたので、有楽町まで歩いた。
駅に着くとビルの間から強烈な西陽が照らす。この眩しさを感じた瞬間、僕は1年ぶりに本当に「写真を撮ろう」と思った。
強烈な光が生む、光と影のコントラスト。
線路の反対側に広がる銀座界隈に、このコントラストがマッチしているような空気を感じた。
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川本源司郎と銀座
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令和2年1月、こんなことがあったという。
最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は、10億円余りを脱税したとして法人税法違反の罪に問われた会社役員川本源司郎被告(88)の上告を棄却する決定をした。28日付。懲役4年、罰金2億4千万円とした1、2審判決が確定する。東京・銀座などの「丸源ビル」オーナーとして知られた。
銀座を数回歩いたことがあれば、知らずのうちに誰しもが目にしているはずだ。
「源」のマーク。
または縦看板の「MARUGEN」の文字。
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クラブや画廊、いかにも「銀座」という感じの華やかな昭和時代を思わせるビルのいくつかに、この文字がついている。
川本 源司郎(かわもと げんしろう、昭和7年(1932年)[1] - )は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有する。日本の億万長者の1人である
1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた[3][4]。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった
1972年には東京へ進出する[3]。2年後の1974年には、当時は飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建設[3]。1980年には銀座に8棟のビルを所有するまでになった[3]。丸の中に「源」という赤いネオンは、夜の銀座の象徴にすらなった[3]。バブル期には、銀座をはじめ赤坂、六本木、福岡の中洲、熱海などに計60棟ほどの飲食テナントビルを所有、約5,900のテナントが入居していた[3]。
バブル期の総資産は1,000億円を優に超え、資産家として雑誌に度々登場[3]。映画『地平線』(新藤兼人監督)の制作に際し8億円をキャッシュで出した[3]。徹底した現金主義者として知られ借金もゼロ、クレジットカードすら持たず現金でできる範囲のことをやっていたために、バブル崩壊期もほぼ無傷で乗り切った。川本はバブル期を異常な状態と認識し、競うように不動産投資を行っていた銀行を信用せず、自らの目で物件を選んでいたことから、虚無主義者と評されることもあった[5]。
自身の事を『日本一の資産家』と自称し、かつては『1000億、2000億は簡単に動かせる』と豪語して回っていた。また、1996年にハワイに高級住宅を購入し、そこに低所得者を住まわせたり建物を管理せず放置して近隣住民とのトラブルになった。金銭に執着しない一面、税金の支払いには極度に消極的な姿勢を見せ「節税をしない経営者はバカ。無駄な税金を支払う必要はない」と公言。節税対策には細心の注意を払った[5]。
僕は丸源15ビルの前でiPhoneを構えていた。
このビルの一階はずっと前から、西洋の貴族とか魔女みたいなイメージの古美術品がところ狭しと置いてある。「こんなもの、どこの誰が買うのだろうか」と思うのは、僕が銀座の人ではない証拠だろう。少なくとも川本氏が住んでいた豪邸にはこういったコテコテな美術品とやらがたくさん置いてあったようだ。
今やその豪邸も廃墟として扱われ、廃墟系Youtuberが侵入するネタになっている。
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廃墟となった豪邸の別館のような佇まいで、今も賑わう銀座の一角に古美術品が取り残されていた。
大通りの方に向かって歩こうとすると、ぐにゃぐにゃと空間を捻じ曲げるように光を乱反射させる、奇妙なビルがそびえ立っていた。所狭しと律儀にひしめき合う銀座のビル群の中で、小さいころにSF系のアニメで見た「異次元への扉」のような、特異な存在として、強烈な夕日を自慢げに浴びているように見える。
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川本氏が逮捕、実刑判決となった経緯は様々あるだろうとは思うが、実際彼が登っていた時代にそういうことはなかったわけで、「彼が力を及ぼさない銀座」というのが「現在の銀座」とも言えるだろう。
現在90歳。娑婆にでてきた頃の銀座は、彼の目にどのように映るのだろう。
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