Web小説の歩みをパソコン通信時代から大コミカライズ時代まで ①1980年代~1990年代
これは2015年8月に刊行された『このWeb小説がすごい!』で書いた、インターネット上で書かれ/読まれてきた小説群にまつわる流れをまとめたものです。
約5年前に書いたものなので、そこから情報をアップデートしたり、情報を追記するなどしていきました。現在は爛熟期にあると思われるWeb小説を、パソコン通信時代の黎明期に遡って見ていきます。
Web小説はどこから来て、どこへ行くのか
■パソコン通信の時代 1980年代
Web小説――あるいはネット小説、オンライン小説、オンラインノベルなどと呼ばれる――は、いまでは誰もが気軽にインターネット上に公開できるようになった。
パソコンから投稿するのはもちろん、スマートフォンのみで小説を書き、投稿している作者も珍しくない。
2020年現在、それらのWeb小説の書籍化(そしてコミカライズ)が爆発的に増加しているが、そもそもWeb小説とはどういうものなのか。その歴史を探っていこう。
Web小説の起源は、1980年代半ばに登場したパソコン通信の時代にまで遡る。
インターネットとは違い、会員登録した特定のホストサーバーと通信回線でデータをやりとりする、限定されたコミュニティを作るサービスだった。ホストサーバーにつないだ会員たちは、電子メールや掲示板などの機能を使うことができた。
送受信できるのは基本的に文字データであり、掲示板(BBS)では小説も盛んに投稿されていた。
「PC-VAN」では「アマチュアライターズクラブ(AWC)」に小説を投稿することができ、コンテストの開催やオンラインマガジンの発行がされた。なんとこの「AWC」はインターネットに移った現在もサービスが続いている。
「ニフティサーブ」では会員同士がフォーラムというコミュニティを作り、その中で様々なやりとりをしていた。中には小説を投稿するフォーラムもあった。
余談だが「ライトノベル」という名称は1990年頃にここのSFファンタジー・フォーラムで生まれたとされる。(出典:新城カズマ 『ライトノベル「超」入門』)
「ASAHIパソコンネット」は実名制で、筒井康隆や俵万智などのプロ作家も会員になっていた。筒井康隆は新聞連載していた『朝のガスパール』の意見をBBSで募集し、作品に反映させるという実験的な試みを行っていた。
筒井康隆の実験作品『朝のガスパール』は、新聞連載がされているとき、投書や「ASAHIパソコンネット」のBBSで読者の意見を募集した。その内容によって展開が変わるというライブ感があり、読者が作品内に登場するというメタフィクションの要素もあった。読者の意見は紛糾し、時には「荒らし」がいたり、「炎上」したりもしていた。
また、「ASAHIパソコンネット」では「パスカル短編文学新人賞」というパソコン通信を介した文学賞が開かれ、作品募集も選考結果の発表もパソコン通信上で公開した。
いまから25年以上前、インターネットも普及していない時代では先進的だっただろう。
■インターネットの普及 1995年~
1995年、Microsoftの開発したOSであるWindows95の発売をきっかけに、インターネットの普及が始まった。インターネットという新たしい場が生まれることで、新たな文化が生まれ始める。
インターネットを通じて、個人が世界中に作品を公開する時代が、ここから徐々に広まっていくことになる。
インターネットが一般家庭にも波及したことで、ネットにアクセスしている人口も増えていった。パソコン通信からの流れもあるが、ネットは“おたく”たちが趣味について交流・公開する場にもなっていった。
この時代はまだインターネットがテレビや雑誌と同じような「新しいコンテンツを提供してくれるメディア」の延長線上として捉えられていたようだ。パソコン通信にはなかった「ホームページ」の存在がメディアとしての印象を強めていた。しかし一部の人は個人でホームページを作り情報発信をしコメントをやりとりする、双方向のコミュニケーションメディアとして認識されていく。(出典:ばるぼら/さやわか『僕たちのインターネット史』)
1995年には『新世紀エヴァンゲリオン』のTVアニメ放送が始まった。謎めいたストーリーや設定が波紋を呼び、キャラクターも魅力的だったことから、インターネット上では多くの“二次創作”が書かれた。
他にも『機動戦艦ナデシコ』や『GS美神 極楽大作戦!!』などのアニメ・マンガ作品や、Leafの『To Heart』、keyの『kanon』などのいわゆる葉鍵系18禁恋愛ゲームの二次創作が流行していった。
当時のネットはダイヤルアップ接続であり、通信容量も限定されていた。パソコン通信時代と同じく、文字が表現の主流であり、二次創作も小説として書かれることが多かった。
こうして同人誌以外でのファン・フィクションの公開・交流の場が形成され、二次創作作品は個人の作ったサイトや、投稿掲示板で公開されていった。
二次創作は著作権の問題から扱いが苦慮されており、2010年の「にじファン」閉鎖以降、「ハーメルン」や「pixiv小説」に場が移っていた。その後、一部タイトルは公式で二次創作を許可する流れが生まれ、KADOKAWAの「カクヨム」では二次創作許可作品の一覧も作られている。
■ブロードバンドと個人サイトの時代
90年代終盤から2000年初頭にかけて、インターネット接続はブロードバンドになっていき、通信環境が整っていった。Web小説を書く場も広がっていき、大きく分類すれば「個人サイト」「投稿サイト・投稿掲示板」「匿名掲示板」の3つとなるだろう。これは2020年でも大きくは変わっていない(加えるなら「チャットノベル」という新形態が出てきたくらいだろうか)。
個人サイトは(当時は)制作するのにHTMLなどを理解する必要があったが、ホームページ作成ソフトが出てきたことで比較的作りやすくなっていった。自分好みのデザインでサイト構成をし、専用のBBSを設置することもできた。
自分のサイト単体では読者を集めることは難しいが、相互リンクを張ったり、ウェブリングに登録したり、小説検索サイトへの登録で間口を広げられた。
小説検索サイトには「楽園」(閉鎖)、「ChaosParadise」(閉鎖)、「NEWVEL」「ネット小説ランキング」などがある。これらの小説検索サイトがハブとなり、個人サイトをつないでいた。
■改稿して書籍化へ
元・二次創作作品二次創作でもオリジナル要素が強いものは、リライトをすることで書籍化するケースがあった。
『エヴァ』の二次創作だった『福音の少年 Good News Boy』、RPG『ウィザードリィ』を下敷きとした作品『和風Wizardry純情派』だった『迷宮街クロニクル』、『HUNTER×HUNTER』の二次創作をリライトして新人賞を受賞した『人形遣い』などがその例だ。
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