かにさし

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  • そのとき思ったこと

    重要じゃないことばっかり

最近の記事

ちなみに

ちなみに、から始まる場合でもそれ以前の内容にまったく因んでいない文が続くことがある ちなみに好きな食べ物はうどん ちなみに、因みというのは縁を意味する言葉で、それ以前の文にまつわるような文が続く場合に接続的に利用される ちなみに、千波とはまったく関係がない ついでに言うと、ついではちなみよりも関係性の低い文をつなげても違和感が少ないと思う ところで、以前の内容にまったく因んでいない文を続けたい場合は「ちなみに」ではなく「ところで」を使うと良い ちなみに、言っている

    • 主軸について書きなぐり

      「微分音を使って作曲しました!」みたいな主張する必要もないよなぁと思って微分音を使ってても特に明記しないで曲を投稿したりしてる 使う音を骨と捉えるか肉と捉えるかによってその見せ方も変わってくる 骨組みは外から見えないので明記して主張する必要があり、外から見えるように肉付けされた部分は明記するまでもない 要するに、俺の曲において微分音とはその曲の主軸ではなく飽くまで材料である 何で作ったか、何を使ったか、どんな意図が含まれているのかなど、主軸となりうる要素は多く考えられ

      • 「AというB」という文

        文「AというB」が与えられたとき、BはAを内包する? 例「猫という動物」  動物は猫を内包している 正しそうである 文「Aというの」が与えられたとき、Aは何に内包されるのか? 逆に考えると「の」がAを内包する概念を指し示す成分とできそう 「猫というの」の場合「の」は動物であったり、「赤というの」の場合「の」は色であったりすることができる Aを内包する概念が複数想定できたり文脈などから読み取れない場合に、Bの要素としてのAについての話であることを明示する目的を持ったとき「

        • なんか

          「〇〇をする人は✕✕な人」のような意見について この投稿のつづきものっぽい内容になってるですよ 以下本題 文脈から〇〇の部分は対象の行動、✕✕の部分は対象の性質や状態だとわかる(ここでは性質として考える) 対象をX、行動をa、性質をnとすると $${a\in X\implies n\in X}$$ が真であるとする意見となる これは対偶である $${n\notin X\implies a\notin X}$$ も真となるわけだが、あらゆる「✕✕じゃない人は〇〇を

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        • そのとき思ったこと
          9本

        記事

          「他人のこと言えない」についての理論展開を考えたい

          まず前提 ・自分自身がしていることをAとする ・相手も同じくAをしている ・相手がAをすることを否定することをBとする ・さらにBを否定することを「他人のこと言えない」であると考える 分析 相手がAをすることを否定する状況について分解して考えると、「相手を否定する」「Aをすることを否定する」の2つが浮き出る 後者の場合、A自体を否定しているため、自分自身のAにも否定が及ぶ 「他人のこと言えない」の理論上では「相手を否定してはいけない」の根拠として「自分自身を否定してはいけ

          「他人のこと言えない」についての理論展開を考えたい

          一人ディベート

          一見対象的な2つの考えが実は別レイヤーにあってどちらも同じ根本を持っていたりするから読解はおもしろい ディベートされてる2つの意見の言ってることが同じだったりするのもときたま見る あることについて思考するとき、2回考えると良いかもしれない 2回目の思考は1回目のものと違う考え方をするのだ 例えば1回目の思考は直感で、2回目の思考は直感に対立して行う 思考は疑いを繰り返すと楽しみが増えそうだと考えてる

          一人ディベート

          特徴とその特徴の所有について頻繁に考えてる

          「ある人AがX、Yといった特徴を所有している」場合、「特徴Xを所有する人は特徴Yも所有している」と考えられてしまうことが多いように思う 実際のところ、この場合に限れば特徴X、Yをつなげているのはその人Aだけであり2つの特徴に相関関係は存在していない ただし、特徴X、Yを両方所有した人のサンプルが多ければ統計学的に考えて「特徴Xを所有する人は特徴Yも所有している」と判断することはできる かと言って、統計は判断材料となるだけであり相関関係の根拠にはなり得ないことは注意して考える

          特徴とその特徴の所有について頻繁に考えてる

          ジャズ音楽ってさ、東方風音楽と同列の扱いなんじゃないかと思う

          ※ジャズを勉強していない人間による解釈を多く含む ジャズはジャズスタンダードを聴かないとわからないもの(偏見を含む)だし、東方風音楽も東方の曲を聴かないとわからないもの 要するに、東方風というカテゴリがあるように、ジャズというカテゴリがあるのだ 東方風を嗜む人間なら理解できると思うのだけど、東方風と称してあまり東方っぽくない曲を聴くと「なんか違う」と感想を抱くに違いない ジャズにおいてもその感覚が表れているのではないかと思った 「なんか違う」という感想を 「この曲は間違

          ジャズ音楽ってさ、東方風音楽と同列の扱いなんじゃないかと思う

          理解について

           理解ってなんでしょう。 たぶん、「それが何の集合体なのかを知ること」を理解と呼んでいるんだと思います。 この理解についての自分なりの理論を展開してみようと思います。  人が物事を認識する順序はおそらく、 知る(発見する)→ 理解する → 納得する の三本立てなのですが、理解する工程でさらに"それ"を細かく砕いて中身を知る必要があります。  例えば"それ"が3つの部分から成る物事だとすると 知る(発見する)→ 理解する(  部分1. 知る(発見する)→ 理解する → 納得

          理解について