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子供と親 良い塩梅の関係

2021年6月26日(土曜日)小学四年生の息子が、ソウル大会で総合5位に入った。結果、全国大会出場が決定した。


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そして、彼は嬉しさと共に ”体操をこれで辞めていいんでしょ?” と言っている。笑える...全国大会に出られる切符を手にしたのに、本人はお役目終了だという気持ちがあるんだな...

この大会の2週間前から、彼は練習を脱走した、運動をやらないと拒否した。色んな気持ちを共に分かちあった。こんな時は "親として" という言葉は必要ない。 "人として" どうありたいのか、どうしたいのかをじっくり話し合った。周りのことを気にせず、どうしたいのか。私は息子へのたったひとつの助言をした。

「どうせ辞めるなら悔いなく終わりなさい」

そこから少し彼の気持ちは変わっていった。

大会前日、全体練習で他校の選手の成長を目の当たりにした彼は、帰ってきて私に言ってくれた。

「自分、たぶんビリになるな...でも、自尊心を傷つけないようにやってくるわ...」

私は正直、驚いた。小学4年生の身長130センチで25キロしかない小さく華奢な男の子が、”自尊心を傷つけないようにやる” とは...成長したな... ”カッコイイなお前!!!” と心の中で叫んでいた(笑)

最近、野球を本格的に始めた友達との週末のキャッチボールが楽しくて仕方がない。体操を辞めて、野球をしたいと言ってきた。自由にアレコレと運動を試すことが出来ない韓国、選手として登録した瞬間から一つの運動しかできないようになっているシステムが非常にもどかしい...

スランプもある、低学年では今まで全国1位でいた自分、しかし高学年と争う事になるこれからに到底自信が持てない。周りの期待が重圧になり、自分の実力と期待とのギャップで逃げたくなったのだろう。

この国で下手に1位になるもんじゃない、その後のプレッシャーが凄いから...

子供がスポーツをすることにつまずく時、私は小学生の時を思い出すのだ...


どじでのろまなカメ

『スチュワーデス物語』というドラマを知っている人はいるだろうか...

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昭和のドラマで、主人公は堀ちえみだった。私はあのドラマを見ると勇気が出た。なぜなら私は家でいつも「どんくさい」「下手くそ」「とろくさい」と父と祖母以外の家族に随分と言われてきたからだ。だからスポーツをするときも期待はゼロだった。「まぁ一生懸命やりなさい」とゆるい応援くらいだったからだ。

幼いながらも、ドラマの中の堀ちえみが空振りばかりしながらもやり通す姿に、自分を重ねたのかもしれない(笑)”どじでのろまなカメでもやればなんとかなるんじゃないか...”と思えたものだ。


クロスカントリーとの出会い

私の家は、父がクロスカントリーのコーチだったせいもあり、6歳上の兄、4歳上の姉はクロスカントリーをしていた。姉は北海道でもかなり成績の良い選手だった。保育園の時からクロスカントリーを見てきたし、ストックを借りてやってみたりもしたが、本格的に始めたのは小1の冬の終わりからだ。週末、家に置いてきぼりになるのが悔しくて始めたクロスカントリー。強くなりたい、速くなりたいとか全然なかった。

兄は中学2年でスキーを辞めて、そしてツッパリになった。姉は北海道の中でも成績が良く期待されていた選手だったが、成長期の足の故障で中学1年の冬で引退した。その後は私一人がクロスカントリーをすることになる。

クロスカントリーに対する欲はなかった。姉は別世界の人だと思っていた。ただ、いつも素晴らしい結果を出す隣町の先輩はカッコよく見えた。自分もあんな風に走りたいな...そこから私は一人で練習をした。マイナースポーツであるため、同じ地域では誰もやりたい人がいなかったのだ。

学校が終わると、家にカバンを置きに帰り、一人マイナス20℃の国道沿いを30分かけて練習場まで歩いていく。ツルツルの道路をビュンビュン飛ばすトラックが自分に向かってくるんじゃないかといつも冷や冷やしたものだ。

練習場に着いたら、一人スキーを履きウォーミングアップをした。コーチである父は仕事を終えやってくるのは5時半過ぎ、冬の北海道は4時には暗くなる。薄暗い練習場を一人グルグルと練習したものだ。唯一の光は少し離れた街路灯だった。真っ暗になる5時過ぎ、父の軽トラックがやってくる。車のライトが唯一の明かりに変わる。ライトが届く直線コースがそれからの練習場だ。直線コースをダッシュで行ったり来たり、ゴールまでの瞬発力を鍛える時間だった。


目標ができた小学生、最後の冬

小学6年の最後の全道大会である秋篠宮杯。”秋篠宮杯のメダルを首にかけたい!” 家にある姉が獲得した金メダルを見ながら憧れていた。

小学6年生の冬の6カ月間、冬の最後の大きな大会”秋篠宮杯”が目標になった。そこから今までにない努力をした。”一度でいいから全道大会で表彰台に上がりたい!”そんな目標を心密かにたて、毎日練習をした。自信はあった3位入賞できるだけの力がついたと...

いつも大会に一緒に行く父が、その日はどうしても仕事の関係で行くことが出来なかった。早朝送り出す私に、父はこう言った「今までやってきたことを出し切れば、目標を手に出来るから心配するな。ワックスは完璧にしてあるから。」私は隣町の選手と共に、隣町のコーチに付き添われ大会へ向かった。父がいない事は気にはならなかった。父が昨晩スキー板に大切に下地のワックスを準備する姿を見ていたから。ただ一つ、3位へ入賞するという気持ちだけだった。

1周5キロの試合、コースの下見をして体を慣らした。

スタートラインで、自分がスタートする出番を待った。”先にスタートした選手を抜かす...抜かしただけ表彰台が近づく...” そうして出発した。

順調だった、目的の選手をどんどん抜かしていく自分が清々しかった。まるでこれまでの自分じゃないみたいに身体が軽かった。引率してくれた隣町の選手のお父さんが、コースの脇から声をかけてくれた「このまま行け!速いぞ!自信もって進め!」もう、目の前に選手は見えなかった。このままゴールに向かうぞ!その想いだけで走った...そして運命の分かれ道がやってきた。

コースが5キロと8キロ、二手に分かれる分岐点。一瞬迷った...右か?直進か?...そして瞬間右に曲がった...右に曲がり滑った、とにかく前進した...なにかおかしい...コースに雪がある...前を走っていった選手がいるはずなのに雪がある...

”やばい!!コースを間違えた!!!” 

そこから、信じられないくらいのスピードで引き返した。必死だった...”何分ロスしただろう...” ”そんなこと考えずに早くあの分岐点に戻らないと...” やっと曲がり間違えた地点に辿り着いた。

そこからは、コース最後の上り坂。心臓が破裂するんじゃないかと思うほどの急な登り坂で、坂の途中に一人の選手が見えた。一人でも捉えて前に出ないと...うる覚えだけど、前を走る選手に「どけろ!」と叫んだ気がする。これは使ってはいけない言葉だ。前を走る選手に敬意を示し「ハイ!」と声掛けをするのがクロスカントリーだ。

そうして、登り切り、下り坂を下りながら先にあるゴールを見た。自分が抜かした選手たちがゴールしていた...目に涙があふれた...表彰台は見えなくなった...

ゴールをした私は、涙を止めることが出来なかった。結果は後ろから3番目...

”前と後ろが逆じゃん...”

悔しかった。小学生として挑戦する最後の大きな大会。これだけを目標にやってきた数か月。自分の失敗、自分のいたらなさ、とにかく自分を責めまくった。そしてコーチである父に見せる顔がないと思った。

今でも鮮明に覚えている...家に着いた私に、父は申し訳なさそうに言った。

「父さんが一緒に行けなくてゴメン...父さんが一緒に行っていればコースを間違えなかっただろうに」 

私は幼いながらにそうは思わなかった。これは自分の責任だ...だから悔しかった。自分の詰めの甘さが招いた結果だった。自分がコースを覚えられなかったことが負けた原因だったから。


終わりを決める

小学最後の大きな大会で、自分が満足する結果を出すことが出来なかった私は、その後中学3年までクロスカントリーを続けた。冴えない田舎の選手としていつも順位は20位~30位の間の選手だった。中学卒業と共に私はクロスカントリーを辞めた。

シーズン最後の試合は”9年間やりきれた”という思いだった。満足だった。

父は一度も私に「スキーをやれ!」とは言わなかった。姉とは実力もセンスも落ちる私に言えなかったのだろう。

そしてその後、私はスキーのストックをドラムのスティックに持ち替え青春を謳歌した。


子育て観

Facebookの投稿を見た友人たちが、私の子育てはいつもブレないと言ってくれたり、子供に対する声掛けが良いと褒めてくれる。

結婚なんて考えていなかった私が、ひょんなことから結婚し、韓国で子育てをし、叱らない子育てなんて出来ない私が、そんなことを言われるんだから驚きだ。

私には3人の小学生の子供がいる。3人とも器械体操をしていたが、今年の5月に末っ子は体操を辞めた。そして、長女と長男は体操を続けている。

一つの運動をやり続けることは簡単な事じゃないことは、私が一番わかっている。だから子供達には強制はしない。自分でやると始めたなら、終わりも自分で決めるべきだというのが、私の考えだ。

私は子供達に2つの事を言う

「終わる時は悔いなく終わること」

「結果はどうであれ ”やりきれた” という思いになる最後を迎えること。」

この2つの気持を持てたら、過去を悔やむこともないし、羨むこともないからだ。


私の子育て観は、『才能のない私がスポーツをしてきた』土台の上に成り立つ。

 才能がないなら、創造力を膨らませる

✔ ツラさの先に喜びがある

✔ 失敗は必ず糧になる

✔ 努力と結果は比例しない=事実の認識

✔    努力した自分を褒める

✔ 実力を受け入れ、たんたんと努力をする

✔ 気持ちを変えた瞬間、現実が変わり出す

✔ 適度な鈍感さが諦めない力になる

私に多くの気づきをくれたのはスポーツだ。

韓国と日本ではスポーツ環境が違う、戸惑う事は多くあるが、運動する中で強くなるメンタルと、一度の結果にくじけないマインドは、スポーツからの素晴らしい贈り物だと感じる。

これは、このまま子供に伝えることができる。子供が理解できるか…など心配しなくてもいい。理解できなかった時に、理解できるように噛み砕いて話せばいい。「子供だから」と特別扱いするのではなく、「1人の人」として特別扱いした方が、話が通じるものだ。

子育てに何よりも大切だと思う事は。子供を一人の人間として尊重することだと思っている。

子ども扱いする場所は、危険な場所、危険な環境のときだけ、大人として助言する。

遊び、学び、人間関係は同じ人間として対等に話すことで、子供なりの考えを聞き出すことができる。私なりの意見を言える。そうすることで、『お互いに良い塩梅』の共通項を導き出すことが出来ると実感している。

大人だからと大人ぶるのはやめた方がいい。子供だって余裕を与えることで、しっかりと自分の言葉で自分の気持を表現する。驚くほどしっかりとした考えを言ってくるものだ。だから子育ては、私を育ててくれる場でもあると感じている。

良いお母さんになる必要はないと思っている。子供と親が友達みたいな関係も好きではない。

親と子、一線を引きながらも尊重し合い、尊厳を大切にする関係でいたいというのが、私の ”子育て観” だ。

私は立派な人でもなく、韓国語も子供に直されるくらい出来ない母親だが、自分を恥ずかしいとは思ったことがない。今の自分の実力を受け入れているからだ。隣の人と比べることは、不必要な感情消費だ。だったら子供と自分が良い関係でいる為に心と頭を使った方が良い。

まだ小学生を育てる私が言うのは、おこがましいかもしれないが、親子関係も結局は人間関係なのだから。

長々と書いたが、子育てに迷う人へヒントになれば幸いだ。


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韓肌りえ
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