2021/12/13 発症から3日目
母が倒れたショックは大きかったけど
私には自分の家庭もありました。
家事と育児は大変だけど、
忙しさが少しは気を紛らわしてくれたかな。
でも我が子を見るたびに
この可愛い顔を母に見せられない、
と思ってしまい涙があふれました。
母が倒れてから初めてのパート出勤。
何もなかったようにいつも通りに動きました。
でも、やっぱり仕事しながら涙があふれました。
仕事中、父から着信。
急いで出て話を聞きました。
「先生から話があると言われて病院に行ってきたけど、お母さんの脳はもう左半分が駄目になってるって。」
他にも色々話を聞いて、電話を切りました。
脳の半分がダメって?
それが指す母の状態は…?
悲しくて悲しくて、
仕事中の涙が抑えられませんでした。
私は仕事を早退しました。
自宅に帰って、在宅勤務中だった夫と顔が合うなり
声を上げて泣いてしまいました。慟哭とは、まさにこれ。
その後、もうすぐ面会時間だったので面会に行きました。精神的に参っていたので、夫のすすめでタクシーで病院まで。
ICU。
母のベッドサイドで、私はこれまでの感謝の気持ちと別れの気持ちを、また泣きながら母に伝えました。
母は人工呼吸器に繋がれ、目は閉じていて、刺激しても反応はありませんでした。看護師さんは「耳は聴こえているので話し掛けてあげてください」って言ってくれるのですが、その言葉を聴くと『言葉が耳に入っても理解できる能力がない』という現実を受け止めきれず、辛かったです。