山紫水明処
滝壺に世界中の竜神を封じ込めて雨を降らせないようにした鳴神上人が、美しい女性の色香に惑わされて破戒堕落し、悪鬼となって荒れ狂う物語。
市川團十郎家の家の芸である歌舞伎十八番の「鳴神」であるが、この舞台となったのが北区雲ケ畑にある岩屋山志明院。神降窟の岩間から落ちるしずくの一滴が鴨川の源流です。
鴨川は、ここから山間を抜け京の街を流れ桂川へ流れ込む。この流れの途中、丸太町橋あたりの風景が、私はとても気に入っています。
江戸時代の儒学者 頼山陽は、丸太町橋上流に10年間居を構え、ここを「水西荘」と名付け、庭にウメ、サクラ、モモ、ツバキ、ナツメなどの花木、実の成る木を好んで植えました。
その後、新たに書斎兼茶室を築き、書斎を「山紫水明処」と名付けました。
「山紫」は唐の王勃が春の夕暮れを詠んだ詩の一部で、「水明」は杜甫が夏の朝の景色を読んだ詩の一部。これを合わせて「山紫水明」という言葉に表しました。今では、山並みや清流など自然が美しい様子を指す言葉として使われることが多い。
かつて書斎からは鴨川、大文字、比叡山、聖護院の森などがひととおり見渡せたといいます。残念ながら、現在は、対岸にビルが建つなどして、室内から見える風景はまったく昔どおりとはいきませんが、それでも、このあたりの河原から眺める東山三十六峰の夕暮れの風景は、私にとって心安らぐ風景です。