おかあさんになる

幼い頃から漠然と想像していた未来
『おかあさんになる』

お母さんになることは簡単なこと
周りにはたくさんのお母さんがいるんだもん
なろうと思えばなれるんだ

幼い頃はそう思っていた。

その考えが大きな間違いだったことに気づいたのは、初めてできた子とのお別れがあったから。

どうして?
ちゃんとここに居てくれてたのに。
自分が何か悪いことした?

考えれば考えるほど苦しかった。
看護師だから知識はあるはずなのに
実際に経験をすると心がついていかない。

体調不良で迷惑をかけるかもしれないから職場の上司には報告を済ませて、プリセプター(看護の先輩)にも伝えてた。
『ママに問題があるわけじゃない、赤ちゃん側に問題があってお空に帰っただけだから大丈夫だよ。』そう声をかけられた。
落ち込む私に『実は私も流産したことあるよ。辛いよね。』と打ち明けてくれた人もいた。
自分が知らなかっただけで、身近にいる『お母さん』たちは流産を経験してお母さんになった人が多かった。
この子のことは忘れないであげよう、またいつか来てくれるかもしれないと時間がかかったけど前を向いた。

それでも2回目、3回目と繰り返した。

お母さんになる未来が想像できなくなった。

大きな病院を紹介された。
結果は習慣性流産、不育症。
正直、しっくりきた。
そうかもしれないと思いながらも確信が持てなかったあのただただ苦しい時間。不育症だと分かってやっと落ち着いた。

診察室を出た時
産婦人科にいたたくさんの患者をみて思った。

幸せそうにお腹を撫でる妊婦さんも、ここにかかってるってことは幸せなだけじゃないんだなって。子どもの相手をしながら待ってる一見ただのお母さんもここにいるってことは何かあるのかなって。色んなことを見て感じて、考えるようになった。苦しいのは自分だけじゃない、諦めずに頑張りたいと思った。

私の場合、
母と子を繋ぐ血管が詰まりやすく、妊娠が継続出来ないのかもしれない。血液サラサラの薬を飲んでみよう、とのことで妊娠が分かったらすぐに内服できるようにバイアスピリンが処方された。

しばらくして
まだ検査薬を使うのには早いけど、少し生理が遅れてるから妊娠したかもしれないと思う時が来た。すぐに薬を飲み始めて1週間後、検査薬は陽性。

病院で心拍が確認できても安心は出来なかった。
心拍が確認できて母子手帳を貰ったあとにお別れしたこともあったから。

不安をよそにしっかり成長していく赤ちゃん。
最後の最後まで不安だった。

お腹にいる時から外の音、声が聞こえている赤ちゃん。長い期間、お腹の中で頑張ってくれてもなお、狭い産道を通るために頭の骨を重ねながら頑張る赤ちゃん。そんな時に『痛い』って言葉は届けたくなくて、ただ静かに耐えた。『やっと会えるよ』って震えながら繰り返した。
初めて我が子を胸に抱いた時、涙が止まらなかった。

少しでも飲むタイミングが遅くなると流産した。
私は薬を飲まないと妊娠が継続できない。
6回の悲しいお別れをしたが3人の子どもに会えた。

妊娠したからってみんながみんな出産できるものじゃない。そもそも妊娠に至るまでに色んな壁がある。
不安を抱えてる人が多いのに、当事者にならないと分からないことが多い。妊娠出産は当たり前なんかじゃない。


#想像していなかった未来

いいなと思ったら応援しよう!