生産性・効率化を追うと不幸になるというパラドックス
人間は、思考する種族。
身の危険を感じれば、安全になりたいと考える。
明日の食糧がなければ、食べ物になりそうなものはないかと考える。
空を飛びたければ、どうすれば飛べるようになるかを考える。
上司のパワハラから逃げたければ、どうすれば顔を合わせずに済むかを考える。
知人がポルシェを買うと、自分もどうすれば買えるようになるかと考える。
通勤ラッシュが優鬱でたまらなくなると、どうすれば会社を休めるかと考える。
即ち、「人間は考える葦である」
(ブレーズ・パスカルの言葉<Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日>フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者)
会社が、「もっと生産性を上げろ!」というと、どうすれば速く出来るかを考える。(「速く出来る」ようになると幸せになれるの?)
社会が、「もっと効率的になれ!」と要望すると、どうすればムダを省けるかを考える。(その「ムダ」って、誰にとっての無駄なの?)
生産性が上がって、得をするのは誰?
(生産性が上がると本当に幸せになるの?)
より効率的になって、喜ぶのは?
(効率が高まると嬉しいのは誰?)
何のために、それをするの?
私たちは、何者?
何のためにこの世に生まれてきた?
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生産性や効率化が高まると、新たな時間が生まれる。
その、苦労して生み出した時間はどうなった?
何に使われている?
そう。
更に生産性、効率化を高めるために使われる。
永遠に終わることのないゲーム。
あなたの時間は、あなたのためのもの。
あなたの人生をより良くするために使われるべき。
あなたの、生まれてきた本当の目的のために
あなたの大切な時間を使おう。
藤井啓人
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幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者