人間は、なぜ未来を考えることが出来るのか。
人間は本来、未来を考えることが出来る生命体。
それは、時に理想や妄想と云われるものかもしれない。
然しこれ、他の生物にはない能力。
即ち、人間以外の生物には皆、“今”しかない。
そう、過去も未来もない。
人間にしか未来に思いを馳せ、考え行動することは出来ない。
己、この意図が汲み取れるか?
なぜ、人間にだけ、この能力が持たせられているのか。
「まったく意味が分かりません。そんなこと考えたこともありません。だって、そういうもんだと思っていました。別に理由なんてないんじゃないですか?」
「人間がなぜ未来を考えられるのか?ですか…。う~ん、たぶんそれは、かつて人間は、弱い存在だったからではないでしょうか。人間は、今では万物の霊長と言われていますが、実は、人間は古来、自然の中では弱い存在で、生きるために考える力を得たのではないかと。生きるために今何ができるか。明日、死なないようにするためにはどうすれば良いか。結果、道具を作ったり、食べ物を貯える術を考え出したり、他とうまくやっていく方法を見出したりしたのだと思います。つまり、これが未来を考えるということなのではないでしょうか」
「人間は、子供や孫たちなど、次の世代のことも考えることが出来るようになりました。本来人間は、種の存続や地球環境を維持することに対する強い思いがあるのではないでしょうか。今は、先進国を中心に、医療技術も発達して、胎児や子供がなくなる数も減ってきたことで、産めよ殖やせよというという考え方ではなく、一人ひとりの子供の未来をも考えられるようになったのだと思います。また、地球資源をただ消費するのではなく、リサイクルをしたり循環させることも考えるようになってきました。これはすごい進歩ですよね」
「俺なんかは、未来のことなんか考えている余裕なんてねえよ。今日、生きていくのが精一杯なんでね。まあ、ここまで良く生きれてると思うよ。明日死んでも悔いはないけどな。人間なんて所詮この程度よ」…
人間にもいろいろあるということか。
人間は、なぜ未来を考えることが出来るのか。
それは、地球環境を守る、人間のみならず、他の生物をも守る役目があるということだ。
ところが今はどうか。
人間は、地球資源を先取りし、与えられたものを大切に扱うことをしなくなった。
人間は、他の生物を単なる“モノ”としかみれなくなっている。
人間としての役目を忘れ、好き勝手放題の、その日暮らしをし続けている。
これが末法の世となった理由。
このまま改心できず、いい加減に生き続けた先は、崩壊の道しかない。
そのことを肝に銘じ、自分自身の生き方を問い直し、希望ある未来に思いを馳せ、人間としての役目を全うします。
有難う御座います。