行き過ぎる信望
何かに信仰、信望することが生きる目的になっていないか?
「信仰が良くない」という話ではない。
信仰のあるなしによって、それの無い者との何かの差が生じるとか、結果が異なってくるなどということは“無い”。
“一切無い”ということを推して知るべし。
人生における本当に大切なこと、即ち信条はそこではない。
人間、皆、やり直し人生。
前世で、何かをやりかけて、それが様々な理由で「実現出来なかった」「叶わなかった」「やり遂げることが出来なかった」と云う悔いの念が、皆、今世に滲み出ている。
それは、あの世の薄く暗い世界で、独り長い永い自己反省と共に、次なる生を夢見、希望を抱き、そしてその思いの実現プランを緻密に創造し、溢れんばかりの情熱と決意が意に適い、何兆京垓の志願者を押しのけ、ようやく生まれ出てきたこの世。
即ち、その実現を固く信じ、今世生きる様が真実。
その中には、相当の苦労や出来事は織り込み済み。
なのに、そのことを一切合切忘れるか、言い訳、躊躇、知らぬふりをして、一向にやらず仕舞いのヘタ人生。
挙句の果てに、今の不幸事に「自分は運がない」「私は弱い人間だから何かに縋らないと生きていけない」「信仰が足りないから」などとほざき、荘厳な儀式、供物を捧げ、我が身に果報の至るを願い、その加護あることを頼みの綱とし、信仰に没頭することが人生だと思っている者があまりに多い世であることを自覚すべし。
己如何に。
それは何も宗教だけの話をしているのではない。
地位や権威や権力、学歴や資格、実績、科学、物カネを持っているか否かへの行き過ぎる信望も然り。
己、本当にそれがしたくてこの世に生まれ出てきたのか?
本当の夢や誓いや約束はどうした?
その与えられた何兆京垓の確率で得た貴重な時間を刻み、誰もが死に向かって進んでいる。
祈る前に行え!
縋る前に進め!
願う前に動け!
そのことを肝に銘じ、自分自身の真の約束を思い出し、そのことに残りの貴重な命、全集中で臨みます。
有難う御座います。