「雨のち曇り、時々晴れ」ひっくるめて“平”であり、“和”の下地を作った平成という時代(私的総括)
「平成」は、1989年(平成元年)1月8日から2019年(平成31年)4月30日。従って、これを書いているあと数時間後に平成30年間の幕が閉じる。
平成は、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意として、日本国民の希望が込められた時代だった。結果、そうなったとも言えるが、そうでなかったとも言える。私にとっては、ここまで生かされたことに対する深い感謝の念しかない。
平成の時代の社会的総括は、Wikipediaに譲るとして、小生としての平成の時代の私的総括は、「雨のち曇り、時々晴れ」ひっくるめて“平”であり、“和”の下地を作った時代であったと言える。
平成の私の年齢は、丁度、20歳から50歳の30年間。平成元年当時、大学生だった頃の自分と今とでは、体の変化、目に見える衰え仕方なくあるものの、心や意識は当時のままのような気がする程、あっという間というか、人間的な成長が留まったままというか・・・。そういった意味で、“平”だったのだと思う。本当に多くの人に支えられ、生かして頂いた30年間だった。
<年代別として>
20代:一人で何でも出来ると思っていたのか、生意気で、身勝手で、浅はかだった「破天荒」の時代。
30代:様々なライフイベントが起こり、人としての責任も大きくなった。成功もしたが20代の頃のつけも降りかかった「内省」の時代。
40代:経済的にも精神的にも完全な自立を目指し、独立起業。多くのチャレンジをしたが、悉く失敗した。だが人で助けられた「感謝」の時代。
病気一つもせず、五体満足に生かしてもらえた。この強靭な肉体を授けてくれた両親とご先祖様に感謝。
生きているだけで儲けもんの人生
その無謀さに、いつ死んでいてもおかしくなかった(と今となってはそう思う。アメリカ、ナイジェリア進出、東京での自転車通勤の生活、徹夜続きのサラリーマン時代など)。
「令和」は、私にとって「報恩」の時代
平成は、「和」の下地を作った時代でもあったと思う。「和」とは、「輪」であり、「和み(なごみ)」でもある。人類は、この30年もの間、多くの苦しい体験をした。しかし、その事が、個から和の精神に気付くきっかけを与えてくれた。それは、極度の競争や比較、差別、対立から生み出された奇跡。これが「令和」の時代に生かされていくことになると思う。
私にとって、これからの残りの人生は、全てが見返りなし。「生かさせて頂けている」ことに全身全霊で感謝し、命続く限り、地球自然を守り、社会を1ミリでも良くし、関わる人々の恩に報いる生き方を実践していくことを誓う次第である。
藤井啓人(2019年4月30日 22時30分 自宅書斎にて)
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者