子どもに「考えさせる」への違和感。
わたくし、もやしの自己紹介
もやしの勤めるオルタナティブスクールは子どもがやりたいことをやる珍しい学校。3歳から12歳の子どもが毎日通っている。
・自ら考え行動できる人間に育つ
・全ての人が認め合う社会
・大人も子ども共に学び合う
を大切に記事を書いていきます。
〇〇させるへの違和感
子どもの主体性を大切にした教育。
自分で考えて行動できるようになるための教育。
そのような教育を志す人たちの中で子どもに「考えさせる」という言葉の
言い回し方をする人がいる。
それに対して私は違和感がある。また少し嫌だ。
なんとなく、子どもを誘導しているように感じるからかもしれない。
私は誘導ではなく、環境を整えている感覚に近い。
あくまでもどの道を選ぶかは子ども自身。
誘導→自分で考える道へ「こっちだよ」と方向を教えている感じ。
環境を整える→自分で考える道を妨げるものを整える感じ。
子ども主体と言いながら、子どもに「考えさせる」という言葉は
大人主体の言葉のような印象がある。
子どもが考える教育は嫌な印象はない。
私もうまく言葉にできない
いろいろと考えてみたが、はっきりを言葉にして
その違和感を言い表すことができないような気がする。
ただ単に、私が言葉に囚われているだけなのだろうか。
言葉が嫌なだけで、行動としてやってることは
考えさせる教育なのかもしれない。
子どもが自ら考える教育を
大人側の態度はどのように捉えたらいいか、もっと深く考えてみよう。
皆さんは、子どもに「考えさせる」教育についてどう感じるだろうか。