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#68 「三年とうげ」の新しい解釈

小学校の教師をしています。

光村図書の3年生の教科書に三年とうげというお話があります。

あらすじを簡単に説明すると

ある村で「三年とうげという峠で転ぶと三年しか生きられない」という言い伝えがありました。

そのとうげで転んでしまったおじいさんは自分はもうすぐ死んでしまうのだと、具合が悪くなってしまいました。

そこに水車屋のトルトリが機転を利かせ、「三年とうげで転べば転ぶほど寿命が延びる」という提案をおじいさんにします。

おじいさんは喜んで、とうげを何度も転び、その後幸せに長生きしました。

というお話です。

数年前にこの物語を授業した時は、登場人物の確認、心情の変化、段落ごとの読みをして最後に

・この話は起承転結がわかりやすいお話だね。
・このお話のテーマはつまり、心のもちのもちようで幸せにも、不幸にもなるってことだね。

みたいな感じで子どもたちとまとめて終わりにしてしまったと思います。

今年度、数年ぶりにこの三年とうげを学習しています。

現在、ある程度学習が進んだところだったので、今日は、子どもたちが今どんなことに疑問をもっているのか聞いてみることにしました。

子どもたちから出た疑問は

①「三年とうげで転ぶと三年しか生きられないと」いう言い伝えを言ったのは誰か?

②ぬるでの木のかげで「~長生きするとはこりゃめでたい」という歌を歌った人物は誰か?

ということがあがりました。

①②は実は同じ人物であるかもしれないという意見もありましたが、

  • 同じ人物が①、②のような相反することを言うのはおかしいという意見が子どもたちから出ました。

  • また①の「三年しか生きられない」という言い伝えは昔からあるものだから、その発案者はもうすでにわからなくなっているのではという意見もありました。

①②は同一人物説も個人的には面白そうなのですが、
とにかく、②ぬるで木のかげで「~長生きするとはこりゃめでたい」という歌を歌った人物は誰かを考えていけば何かがわかるかもしれないと思い
、子どもたちと教科書を最初から読み直すことにしました。

「峠の神様じゃないか」
「おじいさんに元気になってもらいたいおばあさんが歌ったのではないか」
「いやいや、お医者様ではないか」
…と

など子どもなりの理由を話しながらいろいろな意見が出できました。

その中で私が一番面白いと感じたのは、「水車屋のトルトリ説」です。

普通に読んでいくと、この最後の歌を歌っていた人物の候補にトルトリが出てくるというのは想定内なのですが

「トルトリだと思った」子どもの理由が面白かったので紹介します。

まず子どもたちが言っていたのが「トルトリがおじいさんに提案した説明と、ほぼ同じ内容の歌詞を歌っている。つまりこれはトルトリしか知らない情報だから」というものです。

確かに歌っている歌詞とトルトリがおじいさんに提案した内容は似ています。
この話を聴いて私も「トルトリが怪しいかも…」と思うようになりました。

そして私がこの説で一番面白いと思った子どもの意見は

「トルトリはおじいさんに『おいらの言うとおりにすれば、おじいさんの病気はきっとなおるよ』といっている」という理由です。

子どもたちはこの「おいらの言う通りにすれば」という言葉が気になったそうです。

確かに、自分の思うようにおじいさんをコントロールしていこうとするようなセリフを言っているのです。

こういう疑うような読み方をするのは、素直ではないかもしれませんが

「おじいさんが病気になると、トルトリにとって何か部合が悪いことがある」ような読み方もできるのです。

「おじいさんを元気にすることでトルトリが何か利益を得る」そんな作品の解釈もできるような気がしてしまいました。

またトルトリに関しては「水車屋」というかなり限定的な職業があえて紹介されているのも気になってきます。
着物の生地を売るおじいさんと、水車屋のトルトリの利害関係がもしあるのなら、今までとは違った物語の新しい読み方ができそうだなと思ってしまいました。

来週ももう少し子どもたちと三年とうげをやっていくのでまた新しいことが分かったら紹介したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【追伸】
※この後の授業も更新したので、もしよければのぞいてみてください↓
トルトリとおじいさんの関係、三年とうげの言い伝えがなぜ始まったのか
など子どもたちと考えた考察を書かせていただきました。