境界線 言いたいことを言うということ

言えないことがたくさん

自分は立場が弱いので、何を言っても頭のおかしい人の妄言と受けとられて、話を聴いてもらえない(確かに頭のおかしい人の妄言ではある)。大問題だ。

あと口下手で、頭の回転も遅いのでスムーズに喋れないし、返答に窮してしまって数日後に返答を思いついたりする。
人の話を聴いて理解するのも苦手だ。

速度のあるコミュニケーションが苦手だ。
得意とは言えないけれど、読み書きの方がまだ出来る。

欲望

人の価値観を揺さぶりたい。自分の価値観も揺さぶりたい。

全部知りたいし全部伝えたいという気持ちがある。冗談抜きに全部。
体力的にも精神・知能的にも時間的にも限界があるけれど。

その結果、自分と他人の区別がどんどんつかなくなる。

広く浅く、それでいて深くがモットー。
すり鉢状のイメージ。

グイグイいってしまう

アジテーションしてしまう。グイグイ他人の領域を侵略する。攻撃になるからあまり良くない。

即物的というか率直に言ってしまう。かなり身も蓋もない言い方をしてしまう。
君の言葉はデッサンみたいだねと言われたことがある。

そういう特性もあるし、書くことに関しては影響を受けた文体がそういうグイグイ系の文体だったりする。

人の実存を軽く扱うことに対する怒り

理解してますよ、という態度を示す人も、結局は狭量な視点でしかモノを見ていないことに腹が立つ。疲れるから当たり前だけれど。

自分だってそうだし、全部を理解するのなんて無理なので、だから怒りを覚える。

全部を理解して欲しいから、全部を理解しようとした。
自分は境界例かなにかなんだと思う。


("人の実存を軽く扱う人の実存"もあり、それもできれば尊重したい)


境界線

占い師が目の前に置く水晶玉、DJのDJブース、舞台を設けること、あれは全部境界線を引いてるのかもしれないと思った。

どう境界線を引くか。シャーマニックな行為に必要とされる技術だ。

岡本太郎は境界線をなるべく撤廃しようとしていた。自分の作品をガラス越しで展示しなかったり。

手先の巧さ、美しさ、心地よさは、芸術の本質とは全く関係がなく、むしろいやったらしさや不快感を含め、見る者を激しく引きつけ圧倒することこそが真の芸術と説いている。

最近は体験型エンターテイメントが増えている。より高度な線引きの技術が求められる。

そんなことないかもしれないけれど...。
でも一応書いておく。

社会と承認

社会の力が弱まった結果、個人個人が自分自身の価値観を1から築きあげないといけなくなった。

そして、あらゆる価値観が思うままにのさばりだしたため、自分の価値観を守っていくための強かさが必要になった。

社会の力が弱くなった=社会からの承認があまり意味を持たなくなった。
だから皆んな承認を求めて右往左往している。
社会から承認されないため、個人に認められようとして、価値観の押し付け合いが行われている。

"この世"という霊的な空間における最大の境界線が"社会"。
でもそんな社会を保つために必要な社会性もあまり意味が無くなってきた。

もう皆んな本当のことにしか興味がないのかもしれないし、本当のことになんかうんざりしているのかもしれない。

これも自分の気のせいかもしれないけれど...。
でも一応書いておく。

I Have a Voice

言いたいことを言うのはとても怖い。とても勇気がいる。
ドキドキしながら記事を投稿しているし、何も言わない方が良いんじゃないかとも思う。

だけど言いたいことを言うことが、それが間違ったことだったとしても、自分にとっても世の中にとっても良いことであると信じたい。

I Have a Voice !


※ちなみに言いたいことを言いすぎるとこうなります。(この場合は、どうしても言ってしまう、という感じではあるけれど)

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