足りないお金、有り余るお金
最初から「高い場所」にいると、どんな気持ちになるのだろうと時々思います。見晴らしがよく、風の通り方もきっと低い場所とは違っているのでしょう。しかし、その眺望も日常になってしまえば、何の感慨も生み出しません。
お金を貯める行為の「根源」には、お金が少ない状況から、なるだけ多い状態に持っていくという意が込められています。私たちがお金を貯めるのに懸命なのは、「足りないお金」を自覚しているためです。
昨年は月に3万円しかお金が残らなかったのに、格安スマホに乗り換え、生命保険の見直しを行うことで月に5万円くらいお金が残るようになった。あるいは転職をして、手取りの給料が増えた。いずれも素直に「嬉しい」と思えることではないでしょうか。
しかし、上記のようなお金の有難みは、最初から「お金がある」と、感じることが難しくなります。
職業柄(ファイナンシャルプランナー)、富裕層の相談者にお会いすることがあります。 気の毒に思うのは、お金を得る喜びをなかなか感じられない点です。抽象的なので、具体例を挙げてみましょう。
あなたの両親はすでに潤沢な資産を有しています。新幹線ではグリーン車に乗って移動します。すると、お子さん(あなた)もグリーン車に乗ることになります。
快適ではありますが、この状態が常だと年少時代に「上がり」(グリーン車)を経験することになります。新幹線の自由席 → 指定席 → グリーン車という段階を経るプロセスを、本人は経験することができません。
新幹線はあくまで一例です。住まう場所、住居そのもの、食べ物、衣服、装飾品、身の回りの生活用品など、最初から洗練された高級なものに囲まれていれば、そのことそのものに嬉しさや喜びは湧いてきません。
モノだけではありません。様々な世間との「関係資産」を、あなたの両親はすでに保有するため、無形のソフト資産を、あなたは共有することになります(そして、いずれ両親からそれらを引き継ぐことになります)。
多くを与えられることは(それがないより)もちろん良いことです。しかし同時に、経済的に富裕であることは、お金に関して「自己達成感」が得にくくなるという弊害もあります。
単純な例で恐縮ですが、最初から(そこに)5億円の資産があれば、感慨や充実は湧きにくいでしょう。(この5億円を元手に)知恵を絞ってお金を増やそうとか、このお金を何かに活用するというインセンティブも起こりにくいのではないでしょうか。
逆に、今ある資産を「減らさないようにしないといけない」という、無言のプレッシャーに晒されるかもしれません。
お金は複雑に捉えれば、何重にもうんちくを語れます。しかし、お金とは単に「数字」の羅列でもあります。
お金の効用を実感するには、シンプルに、お金が足りない状態から、お金が増え、お金が足りる状況になる一連の過程(プロセス)を経験することが大事なのです。
最初から(そこに)5億円の資産があれば、それ自体結構なことではありますが、本人が培ったものではないため、感覚的に「宙ぶらりんのお金」に近くなってしまうのかもしれません。
幼年期から資産が潤沢にある。このような状況にある人は、人生の中で自ら「精神の山」を見つけ、それを登ることで自己救済することが決して珍しくありません。
経済的、金銭的とは別のところで、乗り越えていく「壁」、掘り下げていく「穴」を見つけるわけです。富裕層の子女子息が、学術研究に取り組んだり、慈善事業に邁進したりすることも、精神の山を登る一例といえます。