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お金は座布団

自分の職業(ファイナンシャルプランナー)を顧みると、けっこう変わった仕事だと思います。何しろ、毎日のように人様のお金の内容を拝見するわけですから。

さまざまな資産の中身に対して「この場合、AよりはBというチョイスのほうがおすすめです」とか、「○○という発想に置き換えて、ここはDを選択したほうがよいのでは・・」などとアドバイスしています(※しかもオンライン上で)。

こういう仕事が成り立つのも、暮らしの中で「お金の優先順位」が高くなっているからでしょう。事実、お金・経済・資本は世の中で大きな力を持っています。お金が私たちの生活の有り様を、おおむね規定しているとも云えます。

個人ベースでいえば「いくらお金を稼いでいるか?」「いくらぐらいお金(資産)を保有しているのか?」。これらが暗黙のうちに社会的ステイタスを形成し、人生で上手くいっているか否かの目安にされている感が否めません。

世の中側から見ると、お金の多寡によって手っ取り早く一人ひとりを区分けし、ラベリングしているという解釈も成り立ちます。


果たしてお金がすべてなのでしょうか?


もちろんNOです。お金は材料であり、完成品ではありませんから。お金を扱うには一定の技量(リテラシー)が求められます。お金を生かすも殺すも、お金の保持者次第なのです。

とは言え、万人の暮らしが、お金・経済という「単一の価値観」に寄せられていることも事実でしょう。理由のひとつにSNSの発達が挙げられます。SNSによって、お金持ちの人もそうでない人も、互いが互いを「可視化」できるようになってしまいました。

そのためかえって、それぞれの境遇の人が、それぞれの矜持を持って生きることが難しくなっています。ヒトが到達した超高度な情報化社会が、ヒトの「多様性」を振り落としているとしたら、何とも皮肉なことです。

お金は生きるために必要ですが、決して万能ではありません。お金は(例えるなら)「座布団」のようなものです。

たしかに座布団を二枚、三枚と重ねると、見晴らしがよくなり、気持ちも軽やかになります(ないよりは「そこそこ」あったほうがよいわけです)。

ところが座布団を十枚、二十枚重ねるとどうでしょう。「さらに見晴らしがよくて心地いいや」という人もいるかもしれません。しかし、座布団を重ね過ぎると、別種の悩みを抱える人も出てきます。


実際、自分が扱える以上のお金を保持してしまうと「これを減らしたらどうしよう?」と、逆に心配が募る人もいます。また大きな量のお金が、人の心や行動を翻弄することもあります(座布団が高くなればなるほど、気持ちも右に左に大きく揺れるわけです)。

(もしかすると)人にはそれぞれ適した「お金の量」というものがあるのかもしれません。それはまさに、あなた(人生の主人公)と座布団(お金)の絶妙なバランスのこと。

この黄金バランスが一人ひとりで違っているのだと、職業柄実感します。


お金を多く持つのが良くない。という意味では決してありません。お金を稼ぎながら、お金を保持しながら、お金だけでは計れない豊かな精神性を持って暮らすこと。これこそが重要なのです。

下町ことばで言いますと「おいらは稼いで、お金も持ってるけど、カネには振り回されていないぜ」という矜持です。

お金持ちになれば、お金のことで悩まなくなるというのは幻想でしょう。ドイツの哲学者ショーペンハウアーは次のような言葉を残しています。

―富は海水に似ている。飲めば飲むほどのどが渇く。―


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カン・チュンド
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