好きなことやって暮らしてる人
ぼくは好きなことやって暮らしてる人。
バンドやって絵描いて、映像作ってTシャツ作って。そんなことやって暮らしてる。
結婚もして今年の夏には子どもも産まれた。しかも元気に。それでもまだ好きなことやって暮らしてる。未だに大学生より大学生みたいな飲み会に出席していたりもする。月に4回くらい誘われて1〜2回は行くようにしている。そういう友達も何人かいて楽しかったりもする。
そして自宅の玄関の前で深呼吸をして酔ってないふりをしながら真っ暗な家の中を手探りで歩き、妻と子どもを起こさぬよう静かに風呂に入ったりもする。酔っ払った状態で真っ暗な部屋を手探りで歩いてる時は『羊たちの沈黙』(1991)のジョディ・フォスターになった気分だ。なので後ろから暗視ゴーグルをつけたサイコキラーが近づいてきていたりもする。
頭の中まで好きなことをやって暮らしている。
時々思う。自分ってこんな感じだったっけ?
もっと世の中に落胆しながら周りの目を気にして現状を変える事ばかり考えているから友だちにはドン引きされたりしてなかったっけ?
振り返ると20代は大体、やりたくないことをやって暮らしていたな。嫌いなことを我慢してやってた。
やりたくないことって大事だからね。今もそう思うけど、当時はもっとそう思ってた。
自分がやりたくないことの中には自分を成長させる何かがあるのではないか?と思ってた。思い込んでた。
やりたくないことを30回やると1回くらいは「やってよかった!」に変わることもあった。
でも嫌いなことを29回もやったんだ。
多分あれだな。ぼくのような自意識過剰は「やりたくないこと」をある程度やってる方が安心するんだろうな。
上司や先輩から褒めてもらったり親や恋人から「頑張ってるね」なんて慰められたりして気持ちよくなったりね。いつの間にか「やりたくないこと=ノルマ」みたいな思想になっちゃうんだ。
それなのに褒められたり慰めてもらえなかった時に心が崩れたりね。
心が崩れるまで安心を求めてるなんてあの頃の自分は一体どんな顔で暮らしていたんだろうか。
『アリとキリギリス』の話が好きでよく頭の中で自分が今アリなのかキリギリスなのかを考えたりする。
当時のぼくはいずれ来る冬に備えてやりたくないことを我慢してこなしてたんだ。大学生より大学生みたいな飲み会に誘ってくるキリギリスの友だちを軽蔑しながら、いつか見返してやると意気込んでた。
いつの間にかぼくはキリギリス側に居たりする。こんなブログを書いてしまうあたり根っこはアリンコのまんまキリギリスごっこを楽しんでいるのかも。
ぼくは好きなことやって暮らしてる人。