鏡にはそばかすが映るし、腰の骨はちょっとずれてる『I feel Pretty』
小さいときは大きくなっていくことが楽しみだった。
背が高くて、勉強はそこそこできる。いい友達のおかげで優しくなれた。面白いことをたくさん見せてくれる友達が多かったから、たくさんのことに興味があって、眠るのが惜しいほどいろんなことに没頭した。仲良くなりたいから知りたい。分かりたいから、関わりたい。
なんでもできるとは思わなかったけど、それが気にならないくらい満足していた。
大人になっていくとその一つひとつが無くなってしまうんだろうか。
毎年変わっていく心にも体にも戸惑うことばかりになった。
「ともだち」だけではない関係性を知って、その一つひとつをダメにしていった。なるべくしてダメになったかもしれなくても、そのダメさの片棒を相手が担いでいたとしても、何度も何度もうまくいくよう頭の中でやり直した。ダメじゃない頃に戻れたら。私のことをダメだと思ってしまう前に戻れたら、また仲良くなれるのかも。何度試してもうまくいかないことが多くなった。そのうちに考えることをやめた。
偽られたり、ごまかされたりすることも増えた。大人になるほど、社会の仕組みや考えることや気を遣うことが増えるからだろう。うまくやっていくことも大事。大事なことでいっぱいになれば、それ以外の扱いなんてそんなものなのだろう。今思えば、私にとっての「大事」と相手の「大事」がずれているだけのことだったんだろう。それでも、いつまでもそれに気づけなかったから、何で嘘をつかれるのか、ごまかされるのか、自分の中に理由を探した。それをされる妥当な理由があるんだろうと。
そのうち、仲良くなりたいから知るのでも、分かりたいから関わるのでもなく、ごまかそうとされる前に嘘をつかれる前に関係を切り離すために探るように知っていこうと、関わっていこうとしている自分がいた。
昔、先生が言っていた。「だまされないぞと疑り深い人ほど、簡単にだますことができるんだ」と。そうなんだと思う。嫌なものを考えて念じているほど、嫌なものとの距離は近づく。
嘘をつかれたくない、ごまかされたくないと思うほど、関係はごまかされているし宙ぶらりんなところに置かれていたりする。楽観的な人間でもないくせに、最初はそれでいいかと安請け合いして自滅。そして何が悪かったのだろうと自分を責め立てるほどに、自分のことがみすぼらしく、みじめで、大事にされない人間のように感じていく。
悪循環だなあと思う。
少しでも大事にされなさを(実際にそうであったかどうかに関わらず)感じた瞬間に、大丈夫なようにふるまっていただけの自分がはがされていく。
二度目に頭を打ち付けた時のレネーみたいに夢から覚めて、全然大丈夫じゃない。コップで言えば、満水。あと一滴でも加わればこぼれそう。そして毎回こぼす。
こうなる自分と一緒に居るのはとてもつらい。
2018年、いよいよコップの水はあふれっぱなしでつらさは限界だった。そこからいろんな手を借りたけれど、結局は自分しか自分のことはわからないんだと当たり前のことに気づいた。だから一人で「自分の心地よさを探すプロジェクト」を始動することにした。
2019年には環境が大きく変えた。このプロジェクトに弾みをつける意味もあった。変えてもうまくいったら、それは変わったと言ってもいいと思ったしね。
そこで観たのが『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』だった。
変わる、変える。そんな言葉に、自分も乗っかって、変われて、楽になれたらと思った。
環境を変えて勢いがついていた時でもあったから、レネーの勢いの良さに「まあ何となく予想できるし」と最後まで観ずにそのまま数か月を過ごした。いろんなことが順調だったし、環境にうまく合わせられていると思っていた。「心地よさプロジェクト」も軌道に乗ったものだと、またもや楽観的な自分が顔を出していた。自尊心!無問題!
そんなことはなかった。二回目のレネーショック。
彼女のように美醜にこだわるわけでなし、そこが刺激される自尊心ではなかったけれど、体の変化や気持ちが安定しないつらさにダメさを感じて自滅していく。そんな時に運動もままならないためか、ぶり返したような体の痛め方をした。2018年の私が帰ってくる。
変われていなかったことに、ちっとも大丈夫でなかったことに落胆した。エイヴリーの気持ちがすごくよくわかる。
そうして、続きを観てみることにした。今度は力を借りようと思って。
何が残ったかとか感動したではないけれど。
自分のことを深く知るのは自分以上にはいないんだと思う。
何かが変えてくれるわけでも、魔法がかかるわけでもない。私の課題には私しか答えられない。答えを出すのも、どう感じるかも自分のかじ取りなんだった。そう再確認する映画だった。
幼い頃を思い出して、自尊心を取り戻すとは違う。
自分の価値を人に渡す必要ではなくて、自分の価値は自分で持っておけばいいんだと。私は私でしかないのだからと。
レネーの力強い「I'm proud of me」がそっと背中を押してくれた。
とはいっても付き合いの長いこの課題にこれからも振り回されたり、誰かを巻き込んで傷つけたりするんだろうと思う。できれば少なくありたいけど。
達成!終わり~にはならないだろうから、変わり続ける私をその都度メンテナンスをしていく必要があるんだろう。今回のメンテナンスのきっかけになってくれたこの映画に感謝しよう。
出てくるみんながちょっとずつ何それ~と笑えるところがありながらも、みんなが実はまっすぐでとても気持ちのいい映画だった。音楽がまたいいのも、心地よくいられる理由かもしれない。
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そして、もうだめだなと思っていた時と、この映画をまた途中から再生するのには少し時間があったんだけど、小学校からの友達の息子が突然LINEで電話をくれた。毎年会っていても、まだ小さいし覚えていないと思ってたらもう私の名前を呼ぶようになっていた。会いたくて電話してくれたらしい。音声が割れるほどの「元気~?」にすごく元気が出た。
「ともだち以外」はうまくいかないけど、私の周りにはいい友達がたくさんいて、絶妙なタイミングで助けてくれる。いい友達が側に居続けてくれることは、十分に誇れることだろう。
これからも頼りなくて、少しの波に大きく揺られてばっかりで、少しガタつくこの小舟でこの海を泳いでいくんだ。
まあ自分の舟だし、悪くはないよね。